天聖経: 第106話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、

もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第四篇 真の人間

第三章 真の人間に復帰する道

第三節 真の人間の生活 16-30

16 天国は家庭からです。祖父母は神様の代身であり、父母は現在の代身であり、息子、娘は未来です。過去と現在と未来が縮小されています。ですから、父母はこの世を代表します。祖父母は神様を身代わりしているのです。祖父母は過去の神様の位置であり、父母は現在の神様の位置であり、息子、娘は未来の神様の位置です。真の愛を中心としては同等なのです。

真の愛の論理を中心として、平等であり、同等な内容の価値、本質的な一体理想観を形成できるのです。真の愛を中心として、ために生きる愛の核を中心として、東西南北、四方が一つに絡み合うとき、その場は永遠に神様の愛の運勢が保護するため、これは神様の愛の相対として永遠に不滅です。永生するというのです。

 

17 真の父母は横的なので、そこには縦的なものを必要とするのです。

この縦的な父母に似たのが心です。縦的な愛と生命と血統を受け継いだのが良心であり、横的な愛と生命と血統を受け継いだのが体です。そのため、九〇度になることのできる人情と天情が合徳(和合)し、永遠に固着したその場に神様が安着されるのです。すべての万福の起源がそこから無限にあふれるので、永生幸福の福ある世界が出てくるのです。このような家庭天国を形成しなければなりません。そのような生活圏を拡大すれば、世界になるのです。

 

18 神様の愛を知り、父母の愛を知り、父母に侍ることができ、夫の愛を知り、夫に侍ることができ、子女の愛を知り、子女に侍ることができなければなりません。子女に命令をするだけでなく、侍ることもできなければならないのです。ために生きることができなければなりません。そうしてこそ、神様の愛を理解することができます。

教材として必要なのです。子女がいなければ未完成です。神様の愛を知ることはできません。神様が人間を、子女をどれほど愛されたか分からないというのです。夫になってみなければ妻の愛が分からず、妻になってみなければ夫の愛が分かりません。また父母になってみなければ、父母の愛がどのようなものか分からないのです。それをまとめて分からせるための教材として造ったのです。ですから、息子、娘がいなければ真の父母になれません。

本然のその原則、規範に合格できる一等品になるためには、父母が必要であり、妻が必要であり、子女をもたなければなりません。そうしてこそ、神様の愛を体恤できる一等品として、この宇宙が判を押してくれるのです。それでこそ、天国に自然と入っていくというのです。

 

19 神様が喜ばれ、悲しまれることを常に判別しながら生きる人は、悪なる人になろうとしてもなることができず、天の法度に背こうとしても背くことができません。公的であれ私的であれ、神様が最も嫌われる人は、対人関係において他の人を利用しようとする人です。その次は、何でも自分の利益を中心として判断しようとする人です。

神様が好まれる人は、譲歩する人です。譲歩とは、自分がひたすらその人についていくことです。その人がしようと言うとおりに、ひたすらついていくのです。ひたすらついていけば回るようになり、回ってみれば、あとから自分がその位置を占領するようになります。結局は、その人のすべてのものを占領できるというのです。

 

20 常に柔和、謙遜で、その人がしようと言うとおりに従順、服従、屈服しなければなりません。それは、その人を完全に占領するためです。人だけを占領するのではなく、その人の全体を占領するための作戦です。したがって信仰世界においては、自分を否定し、代わりに相手の要求に完全に順応していく作戦を取らなければなりません。それは自分自体がなくなるのではなく、相手を完全に占領するための一つの作戦なのです。このようなことを生活において感知しなければなりません。

 

21 驕慢は怨讐です。驕慢と固執はサタンの本質であり、サタンの要素です。ですから、私たちは驕慢になる代わりに謙遜になり、固執する代わりに和合しなければなりません。「和而有親(わしてしんあり)」です。この人にもよくしてあげ、あの人にもよくしてあげる人にならなければなりません。そのようになれば、ここからすべてのことが通じるようになるのです。この人とあの人、二人が一つにならなければ、より大きいものが出てこないのです。和合しなければそのようになります。サタンの本質には、妬みと嫉妬のようなものもありますが、驕慢と固執は、私たちには許されないものです。

 

22 統一教会は聖人をつくろうというのです。偉人の前には怨讐がいますが、聖人の前には怨讐がいません。偉人は自分の民族だけを愛した人ですが、聖人は人類を愛した人です。ですから、偉人が神様のみ前に出ていくとき、「お前は自分の民族は愛したが、私が愛する、私が求める世界人類を愛することができなかったではないか」と言われれば、神様のみ前に出ていくことができませんが、聖人の道理に従っていった人は、神様のみ前に直行できるのです。統一教会は聖人をつくろうというのです。

 

23 神様をあがめる人は血を流さなければならず、神様を愛そうとする人は涙を流さなければなりません。目から涙が乾いてはいけません。そして、神様を探し求めていこうという人は汗を流さなければなりません。それで、父母の心情で僕の体を用い、人類のため、アベルの立場で犠牲になって奉仕し、精誠を尽くして与えなさいというのです。そのように与えながら誇るのではなく、もっと良いものを与えたいという思いをもち、恥ずかしさを感じながら与えなさいというのです。それが神主義です。

 

24 先生が今まで夜を徹しながら人に対しているのは、すべての人を好きになるためです。人を嫌っては復帰歴史に責任をもつことはできません。悪人も好きにならなければならないし、善人も好きにならなければなりません。すべての人を好きにならなければ神様を身代わりできないからです。

堕落とは、神様の世界から反対の立場に落ちたことです。この世界を、悪の立場に落としたのが堕落です。神様も、「この世界は悪い」と言うようになれば、神様ではありません。神様が復帰摂理をすることができないというのです。神様がこの世界を「良い」と言いながら造ったのに、「堕落したから、この世界は悪い」と言う立場に降りてくれば、神様ではないというのです。ですから、悪いことも良いことのように対するのが原則です。ですから、イエス様も「怨讐を愛しなさい」と言われたのです。

 

25 「怨讐を愛しなさい」というのは、「怨讐がいない立場に立ちなさい」ということです。怨讐がいない立場に立ちなさいということは、エデンの園で堕落圏を迎えていない本然の世界、本然の位置に帰った状態になりなさいということです。私たちは、これを中心として闘うのです。すべてがそのようになるために闘うのです。ですから、皆さんが最初に人に対するときは、悪い人だとしても、悪く見てはいけないというのです。

 

真の忠臣、孝子の人生

26 正午定着をする家庭、影のない家庭にならなければなりません。エデンの園では、影のない真の愛だったので、愛するのに影があってはいけません。ですから、世の中の万事、すべてのものがそこに来てつながり、一つになるようになっているのです。そこに他のものが進み出て自己主張することはできません。ですから、絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。そのため、自分がないのです。真の愛の前には、すべてがそのようになります。影のない定着をアダム家庭で成し遂げ、アダム一族、アダム民族、アダム国家、アダム世界にならなければなりません。

 

27 神様がその中で夜も昼も思いどおりに安息できる、影のない家庭にならなければなりません。そのような場所が神様の創造理想なので、私たちがこのように生きるのは、神様を個人から天上世界まで、永遠に父として侍り、その父のみ前に孝子、孝女の家庭になり、忠臣、忠女の家庭になり、聖人夫婦の家庭になり、聖子と聖女の家庭になるためなのです。

その家庭において、神様は自由自在にどこへでも行くことができます。末裔から一度に何代かの先祖まで思いどおりに行き、思いどおりに帰ってくることができ、四方、天地に神様が思いどおりに通じることのできる、影のないその世界が天地に連結されるとき、地上天国になり、天上世界の天国になるのです。影のない正午定着にならなければなりません。

 

28 皆さんは影のある生活をしてはいけません。それで正午定着を宣布しました。それは素晴らしい言葉です。影がありません。体と心が一つになり、家庭の四位基台が一つにならなければなりません。父が誤れば父の影が生じ、母が誤れば母の影が生じ、四人家族で四人が定着できなければ、光の混乱が起こるのです。影がある所は、みな嫌がります。ですから、正午定着をしなければなりません。

あちらの国に行っても影があってはならないのです。影がない所で個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで八段階の垂直線を往来する方が神様です。神様の愛に影が生じるかというのです。純愛そのものです。ですから、誰もが純潔な血を願うのです。誰もが影を嫌がるのです。影はサタンです。ですから、何であっても、誤れば隠そうとするのです。それが怨讐です。国境線がそうです。国境撤廃は正午定着を意味します。これは象徴的な話ではありません。必ずこのようにしなければならないのです。

 

29 真の父母の前に真の孝子、真の忠臣、真の聖人、真の聖子の道理を果たさなければなりません。それによって初めて王権樹立になるのです。敬い侍る息子、娘の権限がそれだけ拡大すれば、その上に立てなければならないのが天の国の王権です。王権を立ててそこに即位することにより、サタン世界はなくならなければならないのです。

 

30 これから、家庭を中心として、新しい忠臣、聖人、聖子の道理を果たして生きた人々の歴史を、伝統として新たに立てなければなりません。

今までの蕩減時代の伝統ではなく、理想世界の新しい伝統を立てなければなりません。その伝統が、皆さんが天の国に永遠に暮らすことのできる伝統になるのです。真の孝子、孝女の道、真の忠臣、烈女の道を立て、聖人、聖子の家庭の道理をここで準備していかなければなりません。

Luke Higuchi