天聖経: 第101話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、

もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第四篇 真の人間

第三章 真の人間に復帰する道

 第一節 人間の蕩減復帰 1-14

第三章 真の人間に復帰する道

 

第一節 人間の蕩減復帰

 

1 皆さんは、一つの生命が高貴であるということを感じなければなりません。「全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」(マタイ一六・二六)と言われたイエス様のみ言をそのまま感じ、体験できる人になってこそ、宇宙を主管する資格をもった人になれるのです。

皆さんは条件を立てる資格をもった人になりましたか。皆さんはいつ、サタンから賛辞を受けるほどに神様を愛し、サタンをこの上なく感動させることをしてみましたか。皆さんがそのようにできなかったので、神様は人類を愛してくださって蕩減の道を開拓し、その本然の世界に帰るまで従っていきなさいと教えてくださるのです。それが統一教会の原理です。復帰の道は探し求めていく道であり、原理の道はたどっていく道です。先生がこの蕩減復帰の道を来るとき、先生の一生は探し求めてくる路程でした。ですから、皆さんは、先生が既に探し出した道に従ってきさえすればよいのです。

 

なぜ蕩減復帰をしなければならないのか

2 蕩減復帰はなぜ生じたのでしょうか。堕落のゆえに生じたのですが、堕落以後、何のゆえに生じたのですか。責任分担がなければ蕩減復帰という言葉は必要ありません。人は責任分担を果たしていく過程で堕落しました。このとき、堕落した人間は責任分担圏をサタンに渡してしまったのです。サタンに奪われてしまったというのです。ですから、責任分担圏を再び探してこなければなりません。

 

3 神様が人間に責任分担を設定しなかったならば、今日、統一教会で主張する蕩減復帰という言葉は出てこなかったでしょう。ただそのまま復帰して、蕩減は必要ありません。なぜ蕩減しなければならないのでしょうか。人間には責任分担があるからです。人間が完成すべき責任分担を自ら壊してしまったので、その賦与された責任を果たしていかなければならないのです。そうするためには、サタン世界のすべてのものに勝ち、サタンを主管する立場に立ち、堂々とサタン世界の反対する環境を取り除いたその立場に立って、神様の愛を受けることのできる位置に立たなければなりません。そのようになれば、サタンは離れるのです。

 

4 蕩減復帰は不可避です。なぜサタンを分立しなければならないのでしょうか。自然な本然の責任分担、自由な環境基盤を必要とするからです。そのようにすればサタンが讒訴できず、サタンが関係を結ぶことができない場所を、私が占めるようになるからです。それで蕩減復帰、個人の責任分担完成という基準は、論理的にも不可避です。

ですから、サタンを分立しなければなりません。そのため、御飯が食べられずに座っていたとしても、サタン世界とは関係がないという考えをもっていなければなりません。ここが分水嶺です。それが境界線です。

 

5 責任分担がどれほど重要かを、みな知らずに生きてきました。蕩減復帰は、責任分担を完成していく自由環境をつくるためのものです。サタンが侵犯するので、サタンを防がなければなりません。サタンを防ごうとすれば、サタンよりも神様をもっと愛し、人類をもっと愛さなければならないのです。サタンが、神様を憎み、人類を憎む反面、私たちは「神様をもっと愛し、人類をもっと愛する」と言わなければなりません。堕落していない人間がもっていくべき、責任分担完成圏を越えていく基準を中心として、一方通行させられる立場に立たなければ、サタンを分立することができません。

 

6 責任分担完成のためには蕩減条件が必要です。先生が蕩減条件を立てたので、皆さんは先生が歩んできた生涯の目的観を中心として、それを受け継いだ愛の旗手として、堂々と国に現れれば愛国者になるのであり、家庭に入れば孝子、孝女になるのであり、夫婦の場に立てば烈男、烈女になるのであり、世界に向かっては聖人の道理の道を行くのであり、天の国の王宮法に歩調を合わせる王子の位置まで行くのです。無事に通過できるたった一つの道があるとすれば、愛のために生きようと言って、すべてのものを捧げる生活です。これは驚くべき事実です。

 

7 蕩減復帰は条件復帰ではありません。先生のときまでは条件蕩減でした。先生は事実蕩減だというのです。そのようなことは『原理講論』に書いていません。条件蕩減を経て事実蕩減であるということは初めて聞くでしょう。ですから、今までの復帰路程を考えてみると、サタン世界で最も良心的な一人を立てるのです。ノアが正にそのような人でした。ノア一人の信仰を絶対信仰の基台の上に立て、ノア家庭を中心にして着陸するようになるのです。絶対信仰の男性、絶対信仰の女性、絶対信仰の四位基台が必要です。

 

8 蕩減復帰の道は、サタンを分立するための道です。サタン分立は責任分担圏を取り戻すためです。本来、責任分担圏はサタンがいない所です。アダムの責任分担がそうです。アダムの責任分担圏は本来、サタンが侵犯できる基準ではありません。その明確な思想を注入しなければなりません。私たちは、いずれにせよ行かなければなりません。責任分担を完成し、神様の愛の中に接ぎ木しなければならないのです。神様の愛の中に接ぎ木しようとすれば、サタンを分立しなければなりません。サタンと因縁をもったすべてのものを、完全に分立しなければなりません。

 

9 蕩減復帰はなぜ必要なのですか。それは責任分担の自由環境をつくるためです。サタン分立がなぜ必要ですか。堕落していない本然の責任分担の自由環境を復帰するためです。理論的になっているのです。

先生も、その網目にかかっているのです。ですから、先生が世界的な反対を受けるのです。世界的な迫害を受け、世界的に攻撃を受けるのです。その世界的迫害を受ける中で、世界的にサタンを分立するのです。

それで、ダンベリーを中心に分立してきました。そこで怨讐を愛し、怨讐の国を愛し、愛によって神様のために生き、愛によって神様のために生きるにおいて先頭の位置に立ち、愛によって人類を抱くにおいて、サタンが愛する以上の立場に立ったと宣布できる条件を掲げていくのです。それが分立されたので、責任分担完成圏が形成されるのです。

 

八段階の蕩減復帰

10 神様は今まで、愛を中心としてアダム以後、天使長までも怨讐視せず、命令もせずに耐えてこられました。天の秘密とサタンの秘密が分からずに混乱に陥った時代に、真の父母が来て、すべて開拓したのです。ですから、復帰の道は探し求めていかなければならず、原理の道はたどっていかなければなりません。

分からなかった復帰の道を先生が探し出したので、皆さんは、ただそのまま自動車に乗り、高速道路を走るのです。何十年もかけて歩んだものを、何時間かで走る時代に入るのです。それでそのような言葉が、この原則を中心として解明されるのです。

 

11 皆さんが蕩減復帰の道を歩んでいるという事実、責任分担という運命的な道を歩んでいるという事実を、どれだけ感謝して受け止めましたか。「統一教会の原理のみ言は良いが、蕩減復帰は嫌だ!」と言うことはできません。大学に入るためには、その関門を通過するために試験を受けなければなりません。私が願う反対の道が横たわっているのです。これを解決しなければ学校に入ることができません。同じことです。統一教会の行く道は簡単ではありません。

 

12 統一教会は蕩減復帰の道を歩んできました。蕩減復帰をするために、このような事情の多い道を経ながら、先生は今まで基盤を築きました。滅びることなく、サタンの罠にかかって釣られることなく、残りました。この基盤は、先生のために築いたものではありません。人類のために築いたものです。これを統一教会のものとして残してはならないのです。人類のためのものとして残さなければなりません。今後、統一教会はなくならなければなりません。一つの主権の中に越えてこなければなりません。それが、すべての宗教の願うところです。

 

13 忍耐と克服、この言葉は、辛抱して耐え忍びなさいということです。幸抱して耐え忍ぶのを好む人は一人もいません。しかし、無理やりにでもしなければなりません。人は、辛抱して耐え忍びながら生きるようにはなっていないからです。堕落したので、辛抱して耐え忍びながら生きなければなりません。報いを受けて、越えていかなければならないからです。人間の先祖は辛抱できず、耐え忍ぶことができなかったため、堕落したのではないですか。

ですから、それを蕩減復帰しようとすれば、最後まで辛抱して耐え忍ばなければなりません。これが蕩減原則です。辛抱して耐え忍ぶ所には、サタンが身動きできず屈服するのです。どこまで辛抱して耐え忍ばなければならないかというと、最後まで辛抱して耐え忍ばなければなりません。そのため、神様は六千年間、辛抱して耐え忍んでこられたのです。その方が私たちの父です。私たちは、その父の天稟と血肉を受け継いだので、その父のようにならなければなりません。

そのため、堕落した世界における生活哲学は、辛抱して耐え忍ぶことでなければなりません。誰のためでしょうか。神様のためです。ここから孝の道理が始まり、忠の道理が始まります。ここから、国も世界も解放の運動が広がるのです。ここにおいては、良い世界も歓迎であり、悪い世界も歓迎なので、地獄はなくなるのです。このような原則のもとで辛抱して耐え忍ばなければなりません。

 

14 六千年の歴史は、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界的に出てきた歴史です。統一教会は、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様の愛の復帰まで、八段階を経るのです。祈るとき、この八段階を中心として祈るのです。個人復帰完成は家庭の中にあり、家庭復帰完成は氏族の中、氏族復帰完成は民族の中、民族復帰完成は国家の中、国家復帰完成は世界の中、世界復帰完成は天宙の中、天宙復帰完成は神様の愛の中にあります。神様の愛を中心として天宙的に一つになろうというのです。

 

Luke Higuchi