天聖経: 第60話
第二篇 真の父母
第五章 天地人真の父母と勝利圏相続
第五節 真の父母のみ言相続 25-36
25 今は、説教は必要ありません。説教するのではなく、先生が語った題目を抜き出し、適切な時期に、適切な環境に合わせて使えばよいのです。題目を選び、その題目ごとに、そこにどのような内容があるかということを、三行ずつくらいに整理して単行本をつくるのです。そうして、自分が説教する題目を決め、そこに該当する部分を探せば、すべて出てくるようになります。何かの説教をしなければならないという場合には、それを中心としてみ言集を読んで説教をし、祈りも、先生が祈った内容をもってしなさいというのです。天が、それ以上好むものはありません。いつでも、そのように説教しなさいというのです。
み言を伝えて実践しなければならない
26 先生のみ言は、永遠に通じることができる内容でなければならず、私たちの生活環境を越えることができるものでなければなりません。悪の生活環境が、真のみ言をのみ込んでしまうことはできません。真のみ言は、悪の世の中のいかなるものも制裁することができません。み言をもって悪の環境を越え、また越えていくことができる心を誘発させなければなりませんが、そのようにできないので、今日、全世界のキリスト教が混乱状態に入っているのです。
それで、愛の心をもって来られる父が、愛する子女に対して真のみ言を語られる場所が、必ずあるはずです。そこを探さなければなりません。そのような場所を探してみ言を聞くならば、何度聞いても新しく感じられるでしょう。真の善の価値として、永遠に通じることができる内容であるはずです。皆さんが、そのようなみ言を探すことができなければ、真の子女になれません。
27 お父様のみ言は、千年の間、繰り返し聞いても、ひたすら味わいがあります。同じみ言でも、悲しいときに聞けば慰労となり、うれしいときに聞けば祝賀となるのです。皆さんの心の状態、生活感情の違いによって、それに該当する素晴らしい対象の価値として作用するのです。
28 原理のみ言を伝えたことに比例して食口が増えます。原理のみ言をどれほど忠実にするかが問題です。ほかの道はありません。み言で造られた人間がみ言を失ってしまったので、み言で再創造しなければなりません。神様の愛のみ言、神様の生命のみ言、神様の血統のみ言、これが三大要素です。愛と生命と血統です。愛が激しく動かなければならず、生命が激しく動かなければならず、血統が激しく動かなければなりません。蘇生、長成、完成、三つの皮をむいてこそ、人が生まれます。
29 全世界に先生が語ったことを伝授しなければなりません。ですから、成約時代とともにみ言を伝授するのです。新しい成約時代の宣布とともに、先生のみ言、成約の聖書を全世界に分け与えました。それで、訓読しなさいというのです。皆さんも、み言を中心として一つにならなければならないのです。先生と一つになる前に、み言を中心として一つにならなければなりません。
30 み言をみ言どおりに理解できない人は、み言の審判を受けるでしょう。私たちは、この地上で死んでも、このみ言を千秋万代にわたって、後代に残していかなければなりません。復帰の運勢が残っており、神様の摂理が未完成のままで残っている限り、このみ言に通じなければなりません。この貴いみ言を整えなければなりません。神様は、このみ言の前に万民がひざまずく日を待ち望まれたのです。真の真理のみ言の前に万民をひざまずかせようと、千辛万苦、受難の歴史を今までかき分けてきたというのです。
31 神様は、サタン世界に愛のみ言を与えてくださるのです。その中から、神様のみ言を絶対信仰する人が出てこなければなりません。言い換えれば、アダムよりも、神様のみ言をもっと絶対的に信じる群れが必要です。神様のみ言を不信させた天使以上に、信任できることをしなければなりません。神様のみ言を聞いて、サタン世界にある体を抜き取ってこなければなりません。体を取り戻してこなければならないのです。
32 皆さんが統一教会に入ってきて原理を通して学んだ真理のみ言を、頭だけで理解してはいけません。皆さんは、そのみ言を頭で知ると同時に、心で知らなければなりません。このように、み言を頭で知って、心で知るようになるとき、皆さんは、そのみ言の目的を達成するために、動くまいとしても動かざるを得ず、サタンと闘うまいとしても闘わざるを得なくなります。また、自分の口を開いてお父様の悪口を言い、自分の考えを変えて天を裏切る位置に出ようとしても、出ていくことができないのです。
33 御飯は、毎日食べてもおいしいのです。真理に通じる糧は、毎日食べれば、味がおいしくなります。生命のみ言は、毎日食べてもおいしいのです。原理のみ言を死ぬまで聞いても好きな人は、絶対に地獄行きになりません。「すべて知っている!」と言うかもしれませんが、それは、頭だけで知り、心情圏とは何の関係もありません。それを聞けば開くほど、天の生命圏が訪ねてくるのです。
34 生命を育ててあげる内容はみ言です。二十一日修練を受け、四十日修練を受けたからといって、統一教会の教会員であると考えたら大きな誤りです。原理の本を中心として勉強しなければなりません。自分が感じたことを、原理の本とともに胸にしまっておくようにすれば、いつでも自分の証をすることができます。原理の本で恩恵を受けたことを伝えるのです。
35 第三イスラエルの先祖となるべき終わりの日に身を置いた皆さんは、最後のみ言は、天の愛のみ言だということを知らなければなりません。ですから、皆さんは、神様のみ言はみ言なりにあり、皆さんは皆さんなりにある、それではいけません。神様のみ言の、見える実体にならなければなりません。神様の内的心情が皆さんの内的心情にならなければなりません。すなわち、本心の実体にならなければなりません。皆さんは、神様のみ言を繁殖させる第二創造主の使命を果たさなければならないのです。すなわち、み言の繁殖体になり、生命の繁殖体になり、実体の繁殖体にならなければなりません。そして、愛を中心として一つになってこそ、神様に永遠に侍ることができるのです。このような基準が第三イスラエルの基準です。このようにしてこそ、み言を植えつけることができ、実体を植えつけることができ、生命を植えつけることができます。
36 み言に盲目的に従っていくだけの人になってはいけません。まずみ言を通して主体性を備えた実体、すなわちみ言の主体となって、創造することができる人格を備えなければなりません。ところが、今まで統一教会で原理のみ言を勉強する人々を見ると、心情的基準や人格的基準を見いだすことができず、み言だけで働き、動く人々がたくさんいるのです。これではいけません。み言を学べば、そのみ言を自分のみ言として語ることができなければなりません。
原理を語るとき、その原理がどこかの師が教えてくれた原理としてではなく、自分の骨と肉を通して生命を得た立場で語らなければなりません。そのような本然の主体性をもってみ言を語ることができる人にならなければ、そのみ言で関係を結んだ人々が、自分とは何の関係もなくなるのです。ですから、み言を中心とする実体的な人格を完成しなければなりません。