天聖経: 第73話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、

もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第三篇 真の愛

第二章 真の愛の類型

第三節 夫婦の愛 7-22

7 男性と女性が、各自の体と心が一つになったかということと、二人が一つの体になったかが宿題です。宇宙が「良い」と言うことができるように、完全な一体になったかというとき、真の愛がなければ一体とはなれません。宇宙で「私」が男性なら男性、女性なら女性として、完全に一つの体になることができる立場に立ったか、ということが宿題なのです。これは、今日の哲学と宗教が解決しなければならない問題です。

男性は妻が絶対に必要であり、女性は夫が絶対に必要であることを知りませんでした。男性に絶対に貴いものが妻であり、女性に絶対に貴いものが夫です。神様よりも、神様に会うことよりも、まず必要なものは、男性には妻、女性には夫です。一つの体になるとは、妻と夫が愛を中心として一つになるのです。

 

8 愛という球形を中心として東西が合わさり、南北が合わさるのです。その次には、天と地が合わさるのです。それは、宇宙を占領するためです。結婚する目的とは何でしょうか。宇宙を占領することです。神様を占領することです。夫は東側、上側の代表であり、妻は西側、下側の代表です。彼らが愛で結ばれることによって、天下を占領するのです。神様を占領し、宇宙を占領するのです。

 

9 夫婦が、神様を愛して人類を愛する心の基台の上で、爆発するようにお互いに愛すれば、その家庭によって神様が酔い、宇宙が酔うことができるようになるのです。その愛は、神様のための愛であり、人類のための愛とならざるを得ません。その愛の根は、自分にあるのではありません。神様が愛の根源です。

 

10 男性と女性というのは水平です。水平を念頭において語る言葉です。縦的に見る時は上下を念頭において語る言葉です。相対圏を中心としてすべての理想形が描かれるので、すべての言葉も相対的な言葉を語るようになります。人といえば、男性と女性です。男性と女性は何で一つになるのでしょうか。夫と妻は、各々半分の世界です。人類がどれほど多くても、その分母は男性と女性だけです。そこには、悪い男性、悪い女性もいて、あらゆる種類の人がいますが、男性と女性の二つに分けることができるのです。その二つが一つに出会うことができる母体は、お金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。愛なのです。

 

11 男性と女性が愛するようになれば、いろいろなことが起きます。神様を求めていく道を知り、神様の愛を本当に味わうならば、神様のその愛は、世の中のどんなものにも比べられないものです。そのような愛を味わった人がいるならば、どんな苦難も、その人を占領することができず、どんな悲しみも、その人を占領することができません。このようなことをはっきりと知って、神様を父として侍り、神様に似た息子、娘にならなければなりません。お金や権力があるといって神様の息子、娘になることは絶対にできません。神様の愛を味わった人は、神様の権威と神様の威信と神様の体面を中心として、法度のままに生きなければなりません。神様の息子、娘が価値のない生き方はできないのです。

 

12 皆さんは、兄弟の立場で兄弟のために生き、その兄弟の立場から夫婦になれる立場に立たなければなりません。そうしてこそ、神様が兄弟として愛せなかったものを愛し、夫婦として愛せなかったものを愛し、子女として愛せなかったものを愛したという、三大愛の原則を復帰するようになります。このような三大愛の原則が、皆さんの家庭を中心として完全に一致するようになれば、神様の愛で愛し合うことができます。このような家庭を中心として、神様の創造理想を実現しようとするのが、正に統一教会でいう天宙主義です。

 

13 復帰の道に立った私たち夫婦が、本然の世界に向かっていくときに、常に神様の創造理想の心情を感じなければなりません。それに満たされて、生涯をかけていく路程で、感謝の一念をもって過ごさなければなりません。それが、今から祝福家庭が、創造目的を成し遂げるために行かなければならない路程です。そこに苦労することがあったとしても、それは私たちを苦しめるためのものではありません。天に今まで秘密に積んでおいた祝福を、もっとたくさん下さるために、神様はこのような苦労の道を行かせるのです。それは、有り難いことです。

心情的な愛によって結ばれた夫婦は、その愛情が生活圏を乗り越え、生涯を乗り越えて、神様の目的と間違いなく一致した家庭をつくらなければなりません。そうでなければ、神様がいらっしゃる天国に帰っていくことができません。これが、創造なさった神様の目的です。そのような家庭に向かっていかなければなりません。

 

切っても切れない夫婦の愛

14 男性は女性のために、女性は男性のために生まれました。ですから、男性の重要なもの、男性の宝物は、女性に保管させました。そして、女性の重要なもの、女性の宝物は男性に保管されています。互いに取り替えられているのです。男性の宝物を女性に保管させておいたので、男性は女性と離れることができません。また、女性の宝物を男性に保管させておいたので、女性も男性と離れることができません。それが愛の「ひも」です。ですから、男性の愛の主人は女性であり、女性の愛の主人は男性です。ところが、男性や女性が今までよこしまに浮気をしたため世界が腐敗し、すべて滅んでいっています。主人が知らないうちにどろぼうをしているのです。愛の不変の鍵は、男性のものは女性が、女性のものは男性がもっているのです。

 

15 「私」の貴い愛は、私にあるのではなく、相手方にあります。ですから、夫のものの主人は妻であり、妻のものの主人は夫です。主人を互いに取り替えて向き合っているのです。ところが、この夫が、自分のものであるかのように、よこしまに浮気をして歩き回りながら、世の中をすべて滅ぼしてしまいました。妻たちもそうです。それは、自分のものではないのです。主人は一人です。自分が主人ではありません。妻の主人は夫であり、夫の主人は妻です。愛を中心として主人です。ですから、愛する時には、体と心のすべての細胞が共に作動するのです。

 

16 女性がもっているすべてのものは、女性のものではありません。横的なものは子女のものであり、縦的なものは男性のものです。「女性がもっているのだから、女性のものだ」と考えやすいのですが、自分のためには何も必要ありません。

これが必要なのは男性です。また、男性のものは男性に何の必要もありません。女性に必要なものです。神様が互いに取り替えておきました。ですから、凹凸があるのです。男性と女性を統一して一つにする道は、その道以外にありません。

神様は、その器官を作る時、「天地の間に最も高貴なものだ」と思われました。度胸があって欲心の多い男性が、すべてのものを片づけて最も好むもの、またそのような女性が最も好むものを、自分の中に求めるとすれば、それは刺激がありません。相対ゆえに刺激を感じるのです。ですから、女性のものは男性が主人であり、男性のものは女性が主人です。それを自分のもののように考えて行動すれば、天地の大道を破綻させるのです。

 

17 もし、男性が男性のものを自分のものとしてもっていたなら、絶対にそこから移動しようとしないでしょう。女性が女性のものをもっていたなら、そのまま張り合って千年、万年持ちこたえることができるかもしれませんが、そうすることはできません。相対が自分の側に来るようにしたり、自分が相対の側に行ったりしながら、互いに入れ替わつて一つになるのです。愛は、このように作用するのですが、授受する作用は、必ず互いに入れ替わりながら価値が現れるようになっているのです。

女性と男性を見るとき、女性がもっている愛の器官は女性のものでしょうか。女性の愛の器官の主人は男性であり、男性の愛の器官の主人は女性です。これを今まで知らなかったので、よこしまな世の中になりました。これは絶対的です。絶対的な愛の主人が互いに取り替えられてもっているので偉大なのです。

 

18 男性と女性は、何がお互いに違いますか。生殖器を含めた体が、まず違います。それでは、男性の生殖器と女性の生殖器は、誰にとって絶対に必要ですか。男性の生殖器は女性のためにあり、女性の生殖器は男性のためにあるのです。人間の生殖器は、一つは凸であり、一つは凹ですが、なぜそのようになったのですか。二つともとがったようにするとか、二つとも平らにすることもできるのに、なぜそのように違って生まれたのですか。すべて相対のためなのです。男性のものは女性が絶対に願い、女性のものは男性が絶対に願うのです。女性のものは男性のものであり、男性のものは女性のものだという事実を知りませんでした。

 

19 人の話し声を聞いてみると、その人について知ることができます。女性の話し声が高いですか、男性の話し声が高いですか。女性の話し声が高いのです。何がそのように高くしたのでしょうか。女性は、力が男性よりも弱いのに、どうして声を高く出すのですか。愛の情、その愛においては、女性は高く、男性は広いのです。男性は、広い愛をもっています。女性は、自分の夫と息子、娘だけを考える、その愛においては高いのです。しかし、男性は、親戚や国などを考える愛においては広いのです。ですから、息子、娘を愛したり、家庭を愛したりすることは母親に学び、世の中を愛することは父親に学ばなければなりません。このようになるのです。このように結んでおくことで、円満な円形を成し遂げることができるのです。

 

20 皆さんは、すべてが自分を主として「私だけ良い暮らしをすればいい」と利己主義に流れていっています。しかし、今は、利己主義をすべて捨てて愛を分けてあげなければなりません。家庭もそうでなければなりません。幸福な家庭は、夫が出掛けて帰ってくると、外であったすべてのことを妻と共に話し合い、新しく開拓できる要因を発見しなければなりません。

お互いが力を合わせて研究する家庭が、幸福な家庭です。父母がそのようにすれば、子女たちもそこに力を加えて、私たちもこのような家庭をつくろうといって同調するようになります。

 

21 夫婦の愛の場は、万宇宙の花です。自分の妻は、歴史博物館に展示されたすべての人々の総合体です。そこに、花として現れたのが妻です。神様が初夜の部屋に参席するというのです。歴史始まって以来、喜ばしい男女の愛の中に、神様がとどまって定住するのです。ですから、どれほど恐ろしい立場ですか。それを連結させて道をつなぐことができ、爆発することができる完全なマイナスになれなかったので、完全なマイナスをつくる役割を今、私がやっているというのです。ここから、天地に愛の光明な太陽が浮かび始めるのです。生命の家庭、理想の家庭として、すべて一つにして、自分の妻の部屋を訪ねていかなければなりません。

 

22 愛を中心とする生活では、すべてのことが解決されます。欲心の多い男性の虎のような目も、愛するようになれば、穏やかになり、絵に描いたお月様のような姿になって、凍りついていた口も、にこりと開きます。凍っていたすべてのものを完全に溶かせるものが愛であり、溶けていたものを凍らせるのも愛です。極と極を包括して余りあるものが愛です。

好むの「好」という字を見れば、男性と女性が合わさっています。男性と女性がけんかをするようになれば、完全に和解できる道がないのに、何を好むというのですか。けんかを十回しても、また好きになる力があるからです。その力が愛という怪物です。「夫婦げんかは刀で水を切るようなもの」という言葉がありますが、刀で水を切れば、傷が残りません。一度けんかしても、額をたたいてくすくす笑えば、終わるのです。愛なくしては平和が訪れません。

Luke Higuchi