天聖経: 第51 話
第二篇 真の父母
第四章 真の父母と真の子女
第三節 真の父母の真の愛・真の生命・真の血統 4-16
第四節 真の子女の道 1-3
4 本然の神様の愛と、本然の真の父母の愛を中心として、本然の血統の歴史をつないで生まれたのが、本然の「私」です。その私を取り戻せば、そこには真の父母と、真の父母の愛があります。神様の愛から私が始まったので、私を取り戻せば、私の中には、既に二つの本然の愛が植えられているのです。それが根となっています。私を神様から離してしまうことができず、真の父母から離してしまうことができません。その肢体であるので、そういう自らを否定できません。
細胞のようなものを見れば、葉の細胞を剥がしても、根の細胞を剥がしても、同じです。最近は、細胞を繁殖して、植物も繁殖させますが、それと同じです。葉にも根の要素が、すべてあります。神様の愛と真の父母の愛は、宇宙のすべての主管性の核です。主体性の永遠の標準です。愛を中心として、すべて主管しようとするのです。
5 蕩減復帰しようとすれば、失ってしまった状態を再び取り戻さなければなりません。母を中心として、分かれていたカインとアベルを統一するために、二つの群れができたのです。サタン側の父と母と、天の側の父と母が闘ったのです。これを清算する戦争が第二次世界大戦です。それで、世界は、完全に統一圏になりました。神様の愛と真の父母の愛を中心として、真の父母の生命と神様の生命、真の父母の血統と神様の血統が再び連結されます。昔の本然の基準はあるのですが、これを連結させることができませんでした。これは残しておき、サタンが横から根を下ろしてすべて占領することによって出てきた芽を切ってしまい、ここに新しい父母を中心として再び連結し、生命の木に再復活圏をつくっておかなければなりません。そのようにしようとすれば、切って接ぎ木しなければなりません。
6 イエス様が再臨するということは、人類の真の父母として来るということです。真の父母として来るのですが、生命の本然の根、神様と一体となった真の愛を中心とする真の生命、真の血統の根として来るのです。ですから、すべて戻っていって真の血統にくっついたという条件を立てなければなりません。血統を再び連結しなければなりません。愛と生命と血統が連結されたという平等の価値を再び編成しなければ、そこへ行くことができません。神様の国は、本来の堕落していないアダムとエバの息子、娘、血統的な面で一体となった子孫たちが行くところです。今日、堕落した人間の血統的欠陥は、このような関係を再びもたなければ元に戻せないということです。
7 この地上に再臨主であり救世主が来るようになれば、その方が主人です。その方は、愛の救世主であり、生命の救世主です。愛が狂い、生命が狂い、血統が狂ったので、真の愛の救世主であり、真の生命の救世主であり、真の血統の救世主として来るのです。それが本然の世界で失ってしまったものですが、それを取り戻さなければならないので、人類歴史を通して求めてきたのが真の父母の伝統的歴史でした。
8 神様とサタンの争いを誰が止めますか。「真の父母」です。何をもって止めるのでしょうか。真の愛です。サタンと神様が手を取り合って褒めたたえるのが真の父母です。真の父母の真の愛の原理を通して神様を解放し、サタンを解放するのです。したがって、地獄の門を撤廃して天国の新しい愛の光明の光がさし込み、霊界に革命が起きるのです。
9 真の父母の本質は、真の愛です。絶対、唯一、不変、永遠な愛の基準の中心位置にいる方が、真の父母です。すべて相対的な基準が必要です。すべてのものに相対がなければなりません。小さなものには小さな相対が必要です。小さなものは小さいなりに、主体と対象を中心として球形を形成し、大きなものは大きいなりに、主体と対象を中心として球形を形成するのです。このようにして、より大きなものになっていくのです。神様は根本なので、最初から最後まで球形を形成するのです。宇宙がすべて、その愛の圏に入っていきます。
10 神様の愛と生命と結ばれた血統をもった父母なので、真の父母なのです。真の父母を知らない人は、今からは人として扱われません。真の父母は、神様の愛を完成させてあげることができる、神様を愛の主人にしてあげることができる先覚者です。真の父母がいなければ、神様の愛の完成プログラムを永遠に成し遂げることはできません。
真の愛の血統に転換
11 血統が汚され、血統が汚染されました。汚染された血統を清めるために、どれほど大変だったかということを知らなければなりません。また、血統が汚されたので、神様はこの世の中を思いどおりにすることができません。怨讐の子女なので、思いどおりにできません。ですから、宗教を通して、数多くの人々の方向を一八〇度転換させることに、数千、数万年かかったのです。
12 地上世界の偽りの父母によって、天上世界の楽園から中間霊界、地獄へと広がり、地上世界もそのような実状が連結されました。地上世界を整理するために、旧約時代にはメシヤを送ることを約束し、新約時代には、イエス様を中心としてこの地上で家庭的な天国が成し遂げられて、初めて天上天国が始まったのですが、家庭天国を成し遂げられなかったので、世界時代にまで延長されてきたのです。
再臨時代には、小羊の婚宴を中心とする真の父母の顕現とともに、このすべてのものを蕩減できる歴史の起源をすべて整理した位置に立つことによって、真の父母の愛を中心として真の血統の条件を継承して接ぎ木するのです。これを家庭的に接ぎ木してあげるのが祝福です。天国は、家庭が入ることができる基準であり、初めて家庭的な基準で接ぎ木したので、その実をもって入っていくようになれば、野生のオリーブの木の実が真のオリーブの木になるのです。
13 責任分担を果たせば、神様の真の愛、真の生命と連結され、真の血統だけが連結されて真の父母の伝統が立つのです。真の父母になるためには、血統を転換しなければなりません。そのようにしようとすれば、野生のオリーブの木に真のオリーブの木を接ぎ木しなければなりません。その接ぎ木をするのが統一教会の祝福です。
14 神様を中心とする完全な家庭が定着することができず、氏族、民族、国家、世界、天上世界までが一つになっていません。カインがアベルの命を奪い、セツを迫害してきたことが整理されていないのです。それで、救世主、メシヤ、再臨主、真の父母が必要です。特に真の父母によって、その真の愛と生命と血統を中心として、堕落がなかった家庭が出発するのです。それは、家庭王の出発であり、氏族王の出発であり、民族、国家、世界、天宙、天上天下の王権の出発です。その王位を中心として、全体が神様を中心とした愛の主権世界になるのです。
15 宗教を信仰して真の人になるのではありません。堕落がなければ、宗教も必要ないのです。生殖器から、神聖できれいな息子、娘が出てくるのです。そこから真の愛が来るのです。そこから真の生命が出て、そこから真の血統をもった真の息子、娘、サタンのいかなる讒訴も受けない解放的な息子、娘が出てくるのです。生殖器は、真の愛を中心とする王宮であり、真の生命を中心とする王宮であり、真の血統を中心とする王宮です。最も貴いものです。これがなくなれば天地がなくなり、これがなければ神様の理想、神様の家庭、神様のみ旨は成就されません。これは、全体を完成することができる一つの起源です。
16 統一教会の教会員は、真の父母と共に、神様と共に生きていきます。真の父母の愛とともに生まれるのです。愛は永遠の関係を結ぶので、愛を絶つことはできません。死ぬときまで愛を忘れられないのです。父母は、死んでいくときも、愛の心情をもって、息子、娘を愛しながら死んでいきます。夫や妻も同じです。愛を忘れて死んでいく人はいません。愛は、死を越えて永遠とつながります。それで、愛による生命圏を受け継いだ自分、男性と女性は、愛の根本である父母を忘れてしまうことができません。父母は根であり、自分自身は幹であるとするなら、息子、娘は芽です。それが共に大きくなれば、氏族圏、民族圏、国家圏に拡大するのです。
第四節 真の子女の道
1 六千年の復帰摂理歴史は、父母を復帰するための摂理歴史です。父母を復帰し、子女を復帰する摂理歴史です。そのような復帰摂理路程においては、父母と子女が同じ責任を担っています。父母が個人的な十字架、家庭的な十字架、氏族、民族、国家、世界、天宙的な七段階の十字架路程を歩んでいるので、子女である皆さんも、そのような七段階の十字架路程を歩まなければなりません。期間の長さの違いがあるとはいえ、先に行くかあとに行くかの違いがあるとはいえ、蕩減条件の内容は同じなのです。
真の子女の復帰路程
2 天運の時代に突入する時において立てられる、「真の父母」と真の子女と真の夫婦は、どのような人たちでしょうか。そのような人たちは、人間の情に通じ、神様の心情に通じた人たちであり、神様の心情が宿る宇宙的な苦難を体恤した人たちであり、神様の真の愛を中心として、「神様は私の父である」と言える、その何かを感じた人たちです。六千年の歴史を経てきながら、人間は、人間の縦的な問題を解決できず、横的な問題も解決できませんでした。人間は、このような問題を解決してくれる宗教を求めてきました。私たちは、終末時代においてぶつかる峠と、すべての障壁を越えていかなければなりません。
3 真の父母の前に真の子女として立つためには、子女の個人的な復帰路程があり、家庭的な復帰路程があり、氏族的な復帰路程があり、民族的な復帰路程があり、国家的な復帰路程がなければなりません。父母の個人、家庭、氏族、民族、国家的な復帰路程と、子女の個人、家庭、氏族、民族、国家的な復帰路程を完結し、その父母と子女が一体となって勝利したという基準を立ててこそ、民族復帰を終結し、世界的な舞台に向かって新しく出発することができます。