天聖経: 第299話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第十篇 平和思想

第一章 平和とは何か

第二節 神様と人類の希望である平和世界 5-15

5 あらゆる学問を超越し、社会の構成や体制、あるいは慣習を超越して決定すべきことは、神様の問題から始めなければなりません。始まりは神様にならなければなりません。その神様は、最初から過程を経て人間を造ったならば、その創造理想の実現、その目的地まで行くことができる道を再発見しなければ、平和の世界は成し遂げることができません。平和の世界は、一つの世界だからです。

人間が行く方向と、神様が行く方向の二つの方向があるというときは、一つの平和の世界は現れないので、不可避的に、結論は一つの方向とならざるを得ません。ですから、人間を第一とした世界を打破し、神様第一主義の世界を決定しなければ、一つの平和の世界に行ける道を発見することはできないのです。

 

6 完成した個人への道は、神様の創造理想に向かう道と同じです。神様が万物を造られたのは、ただそのまま見て、向き合うためではありません。喜ぶために造ったのです。喜ぶことによって幸福になるのであり、幸福になることによって、そこにお互いの平和な環境が成り立つのです。

喜びを感じるところには、お金が必要ではなく、人が必要なのでもありません。ここには、互いに切ろうとしても切ることができず、神様が父として息子と向き合うことができる喜びの要素、喜びの力がなければなりません。いかなる力も除去できず、防止できない絶対的な力、主体的な力でなければなりません。

そこには、「その一つだけが私たちの絶対理想だ」と言って追求できる道がなければなりません。それが決定されなければ、互いに理想の主体であり、理想の相対者をもつことはできません。ですから、喜びを生み、幸福の問題を解決できる中心要因とは何でしょうか。私たちの平和の起源となる核とは、何でしょうか。これは、絶対的な神様の愛と相対的な関係を結ぶ立場しかないのです。

 

7 世界の問題を解決するために、最も重要なことは何でしょうか。神様はいるのかいないのかという問題をはっきりと解明することが、何よりも重要な問題であると見るのです。もし、神様がいることを全人類が分かる日には、神様のみ旨がどのようなところを指向するのかがはっきりと分かるようになり、その指向するみ旨が分かるようになる時には、その世界はそれこそ一つの世界であり、平和の世界であり、理想の世界に間違いないということが分かるようになるでしょう。

 

8 平和の世界を人間だけで夢見るということは、否定的で可能性がありません。なぜでしょうか。皆さんの心と体を見る時、その闘いがどれほど熾烈でしょうか。ですから、先生も修養路程にいる時、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」というのが標語でした。この体がどれほどしぶとくて強いか、いつも道を遮るようになっています。宇宙を主管する能力があるとしても、自分を主管するのは難しいというのです。本質がそうなっているので、混乱した有様になっているこの天地間において、平和や統一を語りながら一つの世界を夢見るというのは、妄想にすぎません。しかし、神様がいる限り、神様がいるならば可能なのです。

 

9 本然のエデンの園は、生命の園でした。そして、ある時間圏内にとどまる生命の園ではなく、永遠を中心として現れる生命の園なのです。その生命の園がこの地に造られたとすれば、人間は生命をもった存在として、神様の生命の恩賜に対する感謝と永遠の楽しみをもつことができたでしょう。また、本然のエデンの園は、人間がすべての生命の主人の立場で、生命の光を現すことができる世界でした。

すなわち、その世界では、個々人の生命が神様のみ前に永遠の希望の実体として現れることができると同時に、無限の価値の存在として光を現すことができたというのです。そして、本然のその園は、愛の園であると同時に、平和の世界であり、神様の愛を中心としてお互いが和睦しながら一つになる統一の世界なのです。

 

平和の王と平和王国

10 皆さんは、アダムとエバが世界基準において完成した国を中心として、一つの統一的大家族になるのです。この統一的大家族は国ではありません。霊界と肉界を中心として新しい一代先祖、二代先祖を編成し、氏族と民族と国家と世界を編成するという、歴史的な最終ページの結論を下すことが残っています。ですから、どれほど深刻ですか。神様の祖国と平和王国時代を発表しました。その時が来るので、すべての存在物は、神様の祖国と平和王国の上に立たなければなりません。ですから、神様の祖国と平和王国は、解放・釈放圏の上に立たなければ、神様の所有として扱うことはできないのです。

 

11 私たちが取り戻すことを願う本然の園は、幸福の園であり、神様に賛美と感謝をお返しすべき世界です。また、その世界は生命を中心とした希望の世界であり、生命と愛を中心とした平和の価値と統一の価値が実現された世界です。そして、そのような人間のすべての価値が結合して、美として現れる世界であり、すべての個体が歌とほほえみと踊りによって、神様の生命と永遠の愛を賛美する世界です。さらには、人間が動くとおりに被造物が共に動きながら、和動する世界です。神様は、このような創造本然の世界を、人間を通して成し遂げようと願われたのです。

 

12 カインとアベルは、神様の愛を中心として生まれた息子、娘ではありません。アダムとエバは、神様のむちによって追われ、追い出された私たちの先祖です。本来、アダムとエバは神様から、「愛するアダムよ、愛するエバよ、万宇宙の創造目的の世界、愛の園を建設するために、私はあなたたちを造ったのだから、あなたたちは平和の王であり、幸福の王である」という祝福を受けなければなりませんでした。この地上のほかのいかなる存在も王になることはできません。私たちの先祖だけが王にならなければならなかったのです。アダムは、千秋万代、永遠無窮に地上の王として、天上の王として立つことができたはずだったのです。天地が生じたのちに、神様と人の関係が生じたのちに、初めて「王」の名をつけることができた方が、正に私たちの先祖アダムだというのです。

 

13 天は、人間が堕落して以後、四千年の歴史の中で選民を選び立て、彼らに「あなた方の指導者であり、あなた方の主人であり、あなた方の平和の王子であり、自由の王子であり、幸福の王子になる人を送ってあげよう」と約束しました。そうして、天は、幸福の主人公であり、平和の主人公であり、自由の主人公であって、天の恨を解き、天の福を紹介できる一人の存在として、長い歴史を経てきながら約束していたそのお一人を送られました。

そうして、長い歴史を経てきながら約束したそのお一人が現れましたが、選ばれたイスラエル選民はそのお一人を迎えることができず、歓迎してそのみ旨のとおりに生きることができず、その方のみ旨のとおりに団結して天のみ旨を立てて神様の恨を解くために闘うことができなかったために、恨めしい歴史は今まで延長を繰り返してきているというのです。平和の王子であり、幸福の王子であり、自由の王子として来られた方は、堕落以後四千年の歴史過程の恨めしい心情を引き受けて来られたイエス・キリストだったのです。

 

14 皆さんが宇宙的な天国の理念を身代わりすることができる存在となり、神様の愛と生命と真理の運動を展開すれば、平和の世界がこの地に建設されるでしょう。ですから、自分の父母だけが父母ではなく、自分の兄弟だけが兄弟ではなく、自分の息子、娘だけが息子、娘ではないというのです。皆さんは、すべての人を自らの父母、兄弟、子女と思うことができる人格を備えた人になれば、死亡の世界で苦しんでいる多くの民を見つめるとき、涙なくしては向き合うことができないはずであり、兄弟や幼い人々を見つめるときにも、「彼らを救おう」という責任感をもって、涙を流しながら努力するようになるはずです。本当にそのような皆さんになれば、皆さんを中心として、この地に天国が建設されるでしょう。

 

15 平和の王がいなければ、平和は永遠に成し遂げられません。人間が平和の王にならなければなりませんか、神様が平和の王にならなければなりませんか。それは言うまでもなく、神様が平和の王にならなければなりません。その平和の神様がいかなる神様なのか分かるようになれば、その息子となり、平和の神様の息子になれば、平和のみ旨を受け継ぐので、地上において王権を受け継ぐことができる後継者になるのです。

Luke Higuchi