天聖経: 第251話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第八篇 信仰生活と修練

第四章 真の父母の人生から見た信仰者の道

第一節 召命の人生12-22

12 神様のみ旨の前に召された責任者として、召命的責任を全うしなければなりません。韓国の人は韓国の人としての召命、世界的メシヤとしての召命があります。「召」の字は、命令の呼び掛けを意味します。軍隊の出動命令と同じです。召命的使命を全うしなければならないのです。

 

使命の自覚

13 先生は、一つの峠を越えるのがどれほど大変だったか分かりません。誰かが一言語れば、いつでも百世、千世、あの世に行っても痛哭する心がしみ込んでいる人です。先生が神様に「文鮮明が来ました」と言う時、神様も切なる心情で我知らず、千万の階段を飛び降りてきて、首を抱いて痛哭しつつ、「よく来た!」と言いながら、「アダムとエバのために痛哭したが、やっと帰ってきた」という喜びの涙を流し、息子を抱いて千万の階段を上がって、座っていた王座に再び座り、「み旨が成就した。アーヂュ!」と言う神様の声を聞くまでは、死ぬことができません。やらざるを得ないのです。それが真の父母が行くべき鉄則の路程でした。皆さんの一生の路程において、その記念の基準を中心として残される贈り物を準備して天のみ前に持っていかなければなりません。そうしてこそ、父母様の近くに行き、苦楽を共にしたとして相続権を受け、天上世界の系列の責任者に立てられることを、間違いなく理解して、責任ある生涯の道を行かなければならないのです。

 

14 自覚が必要です。自分自身に対する自覚、自らの環境に対する自覚、国家に対する自覚、世界に対する自覚をしなければなりません。このように新しい世界観を中心として新たに自覚し、すべてのことを清算して越えていくところでアベルの立場が決定されるのです。アベルの立場を決定すれば、カインを必ず屈服させ、神様に侍らなければなりません。そうすることで、皆さんは、天国に行ける個人になることができ、天の家庭、天の国家、天の世界、すなわち天国を築く個人になることができます。これが復帰の起点なのです。

 

15 自分を歴史的な罪の結実と見なければなりません。氏族なら、そのような氏族と見なければなりません。氏族は、現実から見るとき、国家と見ることができます。現実のあらゆる民族と関係しているのです。数千代の氏族の根を受け継いでいるので、それを延長して、平面的に見れば国になります。

ですから、「私」は国や民族の罪に責任をもつべき罪の子孫です。私は民族が受ける罪の代価を代わりに払わなければなりません。世界の罪を、現在に払うべき罪の代価を私が代わりに払わなければならないというのです。このような自覚をしなければなりません。それがメシヤとして来られたイエス様が感じた道です。私が生きればこの世が生き、私が死ねばこの世が死ぬという境地まで、そのような自覚をした段階まで進まなければならないのです。

 

16 皆さんは、自分自身を知りませんでした。そうこうするうちに、み旨を知るとともに、自覚の心情をもってこの門をたたいてきました。皆さんは、「歴史を経て、時代を過ぎて未来を開いていく私だ」ということを自覚しなければなりません。自分自身で自覚しているようですが、実際は神様が私を自覚させているのです。

きょうの私が自覚した姿をもつために、数多くの預言者や烈士たちが血を流し、今も背後で、自覚した私になることを願っています。ここにおいて再び歴史を台無しにし、台無しにし続け、さらに台無しにする可能性のある自分だということを感じなければなりません。「歴史的な幼いアダムとエバの恨を両肩に背負い、現実と未来にまでも責任をもつべき私だ」ということを自覚しなければならないのです。

 

17 統一教会は、何をするためにこの世の中に現れたのでしょうか。罪を悔い改める道を教えてあげるために現れました。罪を悔い改めることのできる道を教えてあげようというのです。そのためには、信仰によって救いを得るという内容はあるのですが、どのような自覚をしなければならないのでしょうか。世界を代表した自覚をしなければならないのです。

男性も世界を代表した自覚をしなければならず、女性も世界を代表した自覚をしなければなりません。歴史的な勝利の祭物にならなければならないという自覚、時代的な勝利の主体にならなければならないという自覚をしなければなりません。メシヤの命を奪ったので、自覚しなければならない立場において、亡くなったその方の前で私が死んで蕩減し、その方の哀れみが私に及ぶことによって、彼と共に復活の栄光に参与しようという心をもたなければなりません。そうでなければ、天国に入ることはできないというのが原則なのです。

 

18 自覚です!堕落とは、個人を中心として自覚したところから出発しました。今からは、蕩減復帰して、自分を中心としたものではなく、神様の家庭を中心とした自覚がなければなりません。そこから新しい理想世界が生じるのです。そのようにするには、血統が問題です。人類はそれを、今まで知りませんでした。先生が地上に現れ、詳細に解明してあげることによって、初めて分かるようになりました。

そのようにして理解した自分は、自分の存在圏と関係がありません。革命的にひっくり返して、新しい父母を中心とした新しい家庭が出てこなければならず、その家庭は、今のように個人を自覚した立場で堕落したものとは違います。これは、公的な自覚の上に立っているので、心と体が争うことがないのです。

 

人類救済の人生

19 宗教が志向すべき最後の目的とは何でしょうか。もちろん、個人救済の目的を主張することも一理ありますが、それよりももっと進んで家庭を救わなければなりません。まず家庭を取り戻し、安住圏に属している人間を罪悪の中から解放させなければなりません。真の意味で歴史を代表し、時代を代表し、未来を代表する家庭を取り戻さなければなりません。

また世界人類が共に喜ぶことができる家庭の基礎と、家庭が行くべき正道の基準を拡張しなければなりません。その家庭の正道がどこから出発し、どこに行くべきなのか、ということが決定されなければならないのです。そのようにならない限り、この地上に平和の世界を創建することはできません。外的なものがいくらきちんと形成されたとしても、内的な家庭においては破綻することもあり得るというのです。

 

20 いくら台風が吹き、いくら受難の道が幾重にも横たわっているとしても、愛の馬を走らせるにおいては敵がなく、遮る者はいません。父母が子女を愛する道を遮ることはできません。力で遮ることはできないのです。どんな手段方法でも遮ることはできません。妻を愛する夫、夫を愛する妻の愛を、何をもってしても遮ることはできません。ですから、愛は偉大なのです。

国を愛する愛国者の行く道は、どんな力でも、何をもってしても遮ることはできません。買うこともできず、売ることもできません。天理の道理を明らかにしていく聖者の行く道において、人類を救済し、人類を愛することを遮ることはできないのです。

 

21 神様が滅びていく世俗的な世界に対峙させるために統一教会を立てたので、この統一教会は、対抗できるあらゆる内容を備えなければなりません。

中心のない世俗的なこの世の中で、落ちていくこの現実世界で、それを防げない悲嘆の環境を迎えたこの人類は、絶望に遭遇しています。反面、これに対峙して、落ちるのと反対に、無限に向上できる一つの道を準備しなければ、人類を救済してきた神様のすべての摂理が中断されてしまうというのです。

 

22 先生は、世界と天地を生かすのです。天地は先生が責任をもつので、皆さんは、皆さんの一族を生かしなさいというのです。自分の兄弟を救援し、父と母を救援するのです。そこで天使長を屈服させ、真の父母によって祖父母から孫と孫娘まで四代が一つになり、天の国に行くようにしてあげる責任があります。「私」が国家と全体を、天のみ前にお返しするのです。

 

Luke Higuchi