318.韓鶴子総裁御言選集3 天一国と私たちの使命
第3巻 第18回
第2部 神様と人類の希望 真の父母
4. 真のお母様の家庭の伝統と女性指導者の道
*このみ言は、1988年2月24日に青坡洞2街の旧本部教会で開催された「全国婦人連合会」創設2周年総会で宣布されたもので、史吉子女史が代読した。
愛する全国婦人会幹部の皆様!お会いできて、とてもうれしく思います。祖国統一の摂理史的聖業のために南北統一の必勝を遂げる偉大な前線で、誇らしい実績を収める皆様の姿となられることを期待し、また今後、勝利の栄光たる一日を迎えるに恥ずかしくない誇らしい天の女性となられるよう願います。
皆様!私たちが過去、いかに生き、現在、いかにみ旨に合うように生きていくかということも大切ですが、未来のことをよく理解し、立派な実績を残すことができるかということを考えざるを得ません。世の中は、待望の1988年を迎えたと浮き立っています。み旨に従ってきた私たちは、統一氏族を成し遂げたのであり、民族を越え、国と世界、天地の統一も目前に来ているのです。
統一家に入籍した皆様には偶然があり得ない
1988年2月13日は、私たちの統一家の慶事でした。神様を中心として4代が成し遂げられたのであり、真の父母様を中心としては3代が成し遂げられました。このような日を私たちの生きている間に迎えられたという現実を、皆様は偶然だと思いますか。心の奥深く溶けて出てくる愛の涙、深い深い心の中から爆発して出てくる感謝の歌が私のからだを包みます。
皆様!どのように感じられたでしょうか。6000年の恨み多き復帰摂理の歴史、43年間の真のお父様の言葉にできない茨の歴史をいかにしたら言葉で表現し尽くせるというのでしょうか。「お父様!」と叫べば、言葉よりも痛哭が先に出るのです。
皆様!きょうここで私が話そうと思うのは、私たち統一家に入籍した皆様には偶然があり得ないということです。すなわち、自分は、過去の主人であり、現在の主人であり、未来の主人であられる方によるものであるということを誰一人として否定できないでしょう。
おそらく皆様は、私について非常に知りたいことが多いと思います。その気がかりな心が晴れるようにしてさしあげましょう。摂理歴史の中心人物たちを見ると、私たちはその人物、またその母親の役割がいかに重要であるかということをよく知っています。アブラハム、ヤコブ、モーセなども、妻や母親の役割によって新たな歴史をつくりあげ、花咲かせました。しかし、内的には悲惨と苦痛による恨みの歴史をつくってきたのです。
私が生まれたことも、またきょうの日があることまでも、偶然ではありません。また父系よりも母系に歴史的な意味があるのではないかと思っています。真のお父様もよく御存じではありますが、解放(終戦)前、有名だった李浩彬牧師が啓示を受け、私の父と母をして見合い結婚をさせました。天の祝福、すなわち、二人が一緒になって子を生めば、来られる主を生むであろうという祝福が天からあったそうです。
このような結果について、もう少しさかのぼると、趙おばあさん(真のお母様の母方の祖母)の話をせざるを得ません。平安北道定州郡にある趙氏の村の弥勒仏の物語は、趙おばあさんに連なる話です。真のお父様や文氏の兄弟たちも、幼い頃その弥勒菩薩を触って遊んだそうです。これは本当にあった歴史の話です。
一家庭の親のために生きる孝子も国が記憶し、天が貴く思うように、趙氏の先祖が、国が困難な時に全財産を捧げ、国の体面を立てる石橋を架けることによって、天に大きく記憶され、洪おばあさんを通して私が生まれるようになったのです。このおばあさんが一生をどのように生きてきたか、皆様はよく御存じだと思います。私まで入れれば、3代一人娘の家庭になります。来られる主を迎えるために、あらゆる犠牲を甘受しました。
み言に従えば偉大な先祖になれる
趙おばあさんは、1950年代後半に青坡洞教会で真のお父様にお会いしました。年を取っており、家の事情があって1960年の聖婚式を見ることができずに霊界に行かれました。そのおばあさんは、その時、尹菩薩に現れ、真の父母様の登極(王位に就くこと)のために、もどかしそうに準備に努めたのです。その時、多くの啓示が下りました。しかし、尹菩薩が5パーセントの自己の責任分担を果たせないままに死んでしまい、再び仏教系統の食口に啓示が下り、その人が死ぬまでに(趙)おばあさんが準備しようとしたことをすべてやり遂げました。このようなことが偶然だと言えるでしょうか。
今は父母様と興進によって霊界が近くなりましたが、1960年の初めの頃は困難でした。これは私たちにとって良い教訓になり、良い教材になると思い、皆様にお話ししました。自分だけのために生きる者、現在しか考えられない者は、過去はもちろん、現在や未来にも残ることができませんし、伝統を立てることもできません。
皆様!私たちはとても幸せです。いかにして自分がこの時にこの国に生まれ、この瞬間、真の父母様と共に呼吸するというのでしょうか。み言どおり、み旨どおり、示されたとおりに従っていきさえすれば、自分も偉大な先祖になることができるのです。夢にも忘れることができず、一瞬たりとも疎かにできない責任 ―祖国統一、南北統一、神様の解放、真の父母様の解放― を完遂しなければなりません。歴史に長く輝ける女性であることを誇らしく思ってください。誇らしい娘、誇らしい母、誇らしい妻になられることを願います。
5. 絶対信仰の標本
*このみ言は、2002年2月15日、韓国ソウルのヒルトン・ホテルで開催された「世界文化体育大典2002」および「IIFWPアセンブリ2002」開会総会で宣布されたものである。
尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様!
私の祖国、韓国で開催される今回の「世界文化体育大典2002」の開会式典で、皆様を歓迎することができ、たいへんうれしく思います。
私は、生涯を通じて、奇跡のような多くの変化が韓国で起きるのを目撃しました。
韓国に初めて来られた方々が、韓国の文化を経験し、韓国が飛躍的に発展している様子をごらんになることができますことを願っています。
私たちは、新千年紀を迎えるに当たって、過去の暴力と苦痛を清算して、現代科学技術を総動員すれば、世界の平和と繁栄が来るであろうと期待しました。
しかし、昨年(2001年)に起こった一連の事件が見せてくれたことは、私たちは、輝かしい物質文明を享有していますが、その文明との調和を成す精神文化と価値観の混乱によって、いまだに大きな葛藤を解決できないでいるという事実です。
今日の世界は、相対的道徳観が澎湃(ほうはい)としている世の中ですが、私の夫である文鮮明総裁は、その全生涯をささげて、神様に対する“絶対信仰”と“絶対愛”と“絶対服従”、そして人類と万物が願う“絶対愛”に根本を置いた“絶対的道徳性”を教育してきました。
皆様の中の多くの方々は、すでに夫によって推進されているプロジェク卜や活動を通して、皆様なりに文総裁を知っていらっしゃることと存じます。
しかし、きょうは、私だけが知っている総裁についてご紹介しようと思います。
42年間の結婚生活を経てきたこの時点で、私よりも夫のことをよく知っている人は、神様以外にはないはずです。
総裁が教えている絶対価値と、総裁の生涯とは、どのような関係があるのでしょうか。
私は、朝から晩まで終始一貫、ために生きる総裁の生活の姿と、人間生活のすベての分野において塀を崩し、究極的には、神様と人間の間の壁を取り除こうと、率先垂範する総裁の姿を見守ってまいりました。
私が、初めて夫に会った時のことを考えてみても、それは、世界がいまだに軍事力を軸にした二つの世界に分かれ、すなわち東西冷戦によって対立し、韓半島は、6.25動乱(朝鮮戦争)の悲劇によって、南と北の二つに分かれていた時でした。
数年間続いた戦争で、ほとんどすべてのものが破壊されました。私の夫が建てた初めの教会にしても、それは、捨てられた紙の箱を拾い集めて土と混ぜ、地べたの上に立てた土壁の家でした。
そのような状況でも、総裁は、「神様が、この地に新しい希望を下さる」という約束に対して、少しも疑うことはありませんでした。
総裁は、北韓(北朝鮮)共産治下の監獄生活の中、残酷な拷問によって何度も死の峠を越えるとき、そして、他教団の指導者たちの偽りの告発によって、南韓で監獄生活をするときも、自分が置かれた苦境ゆえに神様に助けを求めるという、そのような祈祷は、絶対にしませんでした。
むしろ神様を慰労し、神様のみ旨である平和世界を必ず成就するということを、自ら何千回も誓い、そのみ旨のために黙々と実践するだけであったのです。
どのような苦境に置かれても、例えば、食べるものに窮して飢え乾くとき、あるいはキリスト教と言論、そして政府までもが共謀して、夫を迫害するときにおいても、総裁の神様に対する愛と、人類に対する哀れみは、より一層大きくなるのみでした。
総裁は、歴史上の預言者たちのように、反対の前にも屈することなく、逆に真理を伝播することにおいて、より拍車をかけてきたのです。
このように、総裁は、天に対する“絶対信仰”の手本を見せてくれました。
16歳(数え年)になった年、総裁は天から啓示を受け、本来、神様が願われた純潔と自由と喜びが充満する世界に、人類を導かなければならないという使命によって、自身が選ばれたということを悟るようになりました。
その使命を成就するために、総裁は、個人から家庭、氏族、民族、国家、そして世界に至るまで、神様のみ旨を成就するために“絶対信仰”を基礎とした人生のパターンを広げてきたのです。
総裁は、天から召命を受けたその日から、言い表すことのできない苦難と苦痛を伴う、総体的な犠牲の道を歩んできました。
その中でも、最も胸痛むことは、総裁が助けてあげようとしたその当事者たちが、かえって嘲弄と偽りの非難を浴びせてくるときでした。
それにもかかわらず総裁は、ただの一度も、天から与えられた使命を完遂するための意志を曲げたり、躊躇したりすることがありませんでした。自ら手本を見せてあげ、神様に対する“絶対服従”の道を教えているのです。
何よりも、夫が説き明かす“絶対愛”に関する教えこそ、他の宗教指導者たちの追随を許さないものであると思います。
数多くの宗教指導者や学者たちも、自分たちの教団建立や教理伝播のために献身しました。慈善事業や人道主義的なことを大きく行われた方々もいます。
しかし、総裁は初めから違いました。統一教会の運動が小規模で、また財政的に難関に直面していたときも、総裁の教えには変化がありませんでした。
それは、私たち自身を心配する前に、私たちの予算の3分の2を、人を助けるために使いなさい、ということでした。
そのようにして、これまでに、超宗教活動を支援するだけでも数億ドルを注ぎ込みました。それは、神様が願われることが、すべての宗教を一つとすることにあるということを知っているからです。
総裁は、統一教会の運動自体のためよりも、はるかに多くの予算を、宗教の和解と一致のために投入してきました。
1975年に、手ずから創設した統一神学大学院の学生たちは、自らの教団の教理を学ぶことよりも、はるかに多くの時間を費やして、他の宗教と対話し、また、それらの教理を学んでいます。
米国政府が、不当にも総裁を罪に定め、監獄に送ろうとしていた渦中においても、文総裁は、「ワシントン・タイムズ」を創設して米国が冷戦を終息させ、世界平和のために摂理的な役割を果たす一助としたのです。
皆様もご存じのように、総裁は、世界的に他の多くの言論機関に対しても財政的な支援を惜しまず、今も継続して、統一教会自体の出版物に使うよりも、はるかに多くの予算を、彼らのために注いでいます。
総裁の不屈の意志と、“自らを顧みる前に、まず他のために犠牲になる”という、このような生き方は、神様の無条件の愛に起因しており、これこそが愛の真のみ旨であり、今日、この世界に存在する諸々の壁を取り除くことができる解決方法であると確信します。
総裁は、自ら手本を見せることによって、“絶対愛”ということを教えています。
そのような絶対的愛で結ばれた夫婦関係においては、背信や離婚は許されません。そうして、それこそが、今日、世界的に蔓延している性病から防御することのできる、唯一で真なる道なのです。
総裁が、このような理想を実現するために、自ら実践し、教育するうえで見せてくれた確固不動な献身的姿に対して、誤解する人もいました。
あるときは、総裁の絶対的基準ゆえに、もう少し楽な道を選ぼうとする人々のねたみと嫉妬による、いいがかりの非難も多くありました。
しかし、時間が過ぎるとともに、徐々に、多くの人々が、正と不正、そして善と悪ということに関しては“折衝”というものがありえず、私たちの生命と、神様のための献身的な愛には、寸分の譲歩もありえないということを悟るようになりました。
私は、一生を通して総裁との心安らかな時間を、ほとんど過ごすことができませんでした。他の人々のように、新婚旅行を楽しむこともできませんでした。
しかし、率直に申し上げて、私はこの世の中のどの妻よりも、より大きな“夫の愛”を受けて生きてきました。
総裁の、家族に対する愛と献身的な教育は、驚くほどの結実を収めました。
総裁自身が見せてくれたように、総裁は、「私たちの家族は、神様のために絶対的基準で献身しなければならないということはもちろん、人類のための愛においてもまた、完全でなければならない」と教えてきたのです。
13人の子供と、20人を超える孫を得ましたが、私たちは、家族単位の休暇を、一度も満足に過ごすことができませんでした。しかし、私たちの家族は、神様のご加護の中で感謝の生活をしています。
私たちが、初めてニューヨークに移住して、数百人の教会員とともに暮らしていた時のことです。だれよりも先に、私の夫は、芝刈り機の操作法を覚えようとしました。
自分独りでカーペットの敷き方を体得したりもしました。芝を一つ一つ刈りながらも、「神様と人類に美しい芝生を贈ろう」という心情で臨みました。カーペットに刺す釘一つ一つにも、そのような心情を注ぎ込んだのです。
私たち夫婦の人生は、ほかの人々とは異なっていました。
一生を通じた犠牲的な生活の結果として、世界的に、数百万の家庭と彼らの子孫が、文総裁の伝統に従って生きていることを目撃しながら、私は、神様がご自分の献身的な息子、文鮮明総裁を本当に誇られるであろうと思っています。
きょう、私の生涯において、初めてこのような公式の席上で、あふれる感謝と愛を込めて、私の夫を皆様にご紹介することができ、喜びの心を禁ずることができません。
紳士淑女の皆様!
私とともに、この「世界文化体育大典」の創始者であり、神様の真の息子であり、真の夫であり、真の父母であり、真の師である私の夫、文鮮明総裁を歓迎してくださいますよう、お願いいたします。
ありがとうございました。