平和経 第186話

第二章 愛を中心とした人生行路

人間はなぜ生まれたのか

「生命が先か、愛が先か」というとき、果たしてどちらが先でしょうか。愛が先です。宇宙の根本は、存在の起源に先立って愛の流通がなければ、存在価値は出てくることができません。

生命が先ではなく、愛が先です。先になったものの前に、あとになるものは順応しなければならないので、愛のためには生命を捧げるのが当然なのです。このように収拾しておかなければなりません。「それでは、人生を正しく生きる道はどこなのか」という問題が出てきます。人生は愛から生まれたので、愛の道を行かなければならず、愛のために死ななければならないという結論が出てきます。小宇宙ではなく、大宇宙が歓迎できる愛を探して、神様が公認し、天使世界が公認し、万物が、さらには私たちの父母が公認できる大宇宙の愛の中に生まれ、その中で愛し、死んでいくのが、人生の目的だと見るのです。

人間とは、自分が希望して生まれた存在ではありません。それでは、父と母の希望によって生まれたのでしょうか。そうではありません。神様の希望によって生まれたのです。神様の代身である父母の愛を通して生まれたのです。神様の代身である父母の愛を通して、新しい生命体として生まれたのが私です。そして、愛は全体を創造する力をもっています。宇宙の愛をすべて受けて、全宇宙の中心的な存在として生まれたのが、正に私です。愛によって生まれ、愛によって育てられ、愛によって生き、また愛を残すのが人生における最高の目的です。自分の家庭において、宇宙の中心である愛の使命を果たすのが、最も価値あることです。

人がなぜ生まれたのかということを知らなければなりません。人は、知識や権力ゆえに生まれたのではありません。人は愛ゆえに生まれ、また愛から生まれたのです。それでは、愛は何ゆえにそのように偉大なのでしょうか。それは、生命の源泉だからです。皆様は、父母の愛の中から生まれました。お金を数えるところや知識を追求するところから生まれたのではありません。このように愛の中から生まれたので、愛によって結実しなければなりません。それで子女が必要なのです。夫婦が一つになり、息子、娘という相対がいるとき、完全なのです。人間自身も、愛を離れては存在できません。ですから、私という存在は、愛を土台として生きていくと言えるのです。

すべての万物も、その存在の始まりは神様の愛から出発しています。万物の存在が愛を土台として始まったとすれば、被造世界の中心存在である人間は、より一層、愛によって出発した存在であることを否定できません。人間は、愛から出発し、愛によって完熟するので、愛の基準を離れては生きられない存在なのです。

愛を中心とした創造本然の人生

人間が存在する理由とは何でしょうか。人間が存在する理由は、愛から始まりました。それでは、人間が存在する目的はどこにあると思いますか。それは、愛の理想を完成することにあります。人間は愛を原因として存在するようになったので、愛の基台を築いて拡張させ、連結して完成させることが目的になるのです。すなわち、出発が愛なので、目的も愛をもって到達しなければならないというのです。そのためには、相対的関係にある男性と女性が愛を中心として一つになり、前後、左右、上下に連結されなければなりません。

私たちはいくら絶対的な存在を確定し、いくら絶対的な目的を確立したとしても、そこでうれしくなければ何の意味もありません。生きて生活するのがうれしくなければなりません。生活は、目的のためにするのです。その目的を成就したというとき、そこには存在それ自体以上の新しい何かがあるはずです。男性なら男性、女性なら女性を中心として見るとき、彼らにとって何よりも貴いものは何でしょうか。愛です。愛だけが、これと連結させられる幸福の要因になるのです。人が目的をいくらよく立てたとしても、その目的を主管する主体的な愛の権威を立てられなくなるときには、再び新しい目的を追求しなければなりません。目的の限界点が、愛より上にはなり得ないのです。

皆様は、何ゆえに生きていますか。「食べるために」と答える人もいて、あるいは「仕事をするために」、または「何の目的もない人生を生きている」と言う人もいるでしょう。人間は何のために生きるのでしょうか。「愛のために生きる」と言えば、どれほど素晴らしい答えかというのです。人間は、愛の実として生まれ、愛しながら生き、永遠の愛である神様の懐に帰るようになっているというのが、創造本然の人生です。愛によって生まれ、愛の中で成長し、その次に、再び異なる次元の愛に連結されるのです。

誰でも、父母の愛を離れ、相対の愛を訪ねていきます。父母の愛は蘇生的愛ということができ、夫婦の愛は長成的愛ということができます。夫婦同士いくら愛し合っても、子女がいなければ愛の完成を見ることはできません。ですから、子女が必要です。これが完成的愛です。ですから、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛を経る過程が人生の根本であり、神様の愛を中心とする創造理想を実現する根本の道です。

生命は愛から生まれます。愛から生まれ、父母から愛を受け、愛によって成長し、愛する妻に出会ってまた愛し、その愛の中で死んでいきます。これが人生です。ですから、悲しみと苦痛はあり得ないのが、本来の人生だというのです。

本来、宇宙の根本位置は、愛を中心として総合的に、縦横に同時に結合する基準ができることで、父母の愛と夫婦の愛、子女の愛が一つになる位置となります。その位置は、全宇宙が集中する場となり、全宇宙の細胞の方向が集中する場になります。霊界のすべての霊人が、ここに集中します。それだけでなく、この位置を誰も侵犯できないように保護するようになっているのです。ですから、この位置が破壊されれば、大変なことが起こります。それで、完全に保護を受けるためにはある形態が必要なのですが、その形態を統一教会の用語で「四位基台」と言うのです。

人間の永遠の生命の要素は愛

人間は胎児のとき、母から供給される栄養を受けただけでなく、愛を供給されました。そのように、地上で暮らしている人間も、宇宙(自然)から物質的な栄養を供給されるだけでなく、生命の本質的要素である愛を神様から供給されているのです。

すべての植物が、太陽の光を生命の要素として吸収するように、人間にとっては愛が生命の要素になるのです。私たちの希望は、永遠に愛と共に欽慕しながら暮らせる地上天国と天上天国が建設されることです。

男性や女性が行く道は、愛のゆえにあり、愛のためにあります。私の道は、愛の道です。愛を得るために、愛を守るために、愛の環境圏を築くために行くのです。女性が化粧をし、マッサージをするのも、愛のためです。何かを願うのも、仕事をするのも、すべて愛のためです。高貴な愛を得るために、苦難に打ち勝っていくのです。

私たちは生まれるときから父母の愛を受け、父母が生存している限り、少年時代、青年時代、壮年時代、どの時代においても、愛するのです。父母の愛を受けて成長すれば、横的な夫婦の愛が各自に起こるようになっているのです。

結婚とは何でしょうか。男性は女性について知らなかったことを学び、女性は男性について知らなかったことを学ぶために、家庭という愛の学校に入学するのです。すべての履修単位がAプラスになってこそ、夫も喜び、妻も喜ぶのです。さらに、息子、娘を生むのは、世界を愛する方法を学ぶためです。息子、娘がいなければ未来と連結されません。未来の世界と連結できる教育の材料として、息子、娘を与えたのです。そして、先祖や祖父、祖母に孝行するのは、霊界からの教育を受けるためであることを知らなければなりません。愛を中心として、これらすべてのものが連結されます。祖父と祖母、夫と妻、息子、娘が一つの愛を中心としてすべて連結されているのです。

私たちは、愛を中心として霊界の千万代の先祖までも尋ねて、行き来し、遠い子孫までも通じるのです。それが、霊界の組織であり、宇宙の組織になるということです。すべてのものがここに征服されてしまうのです。愛の僕となり、愛の奴隷となるのが最大の幸福だと言えるのです。

Luke Higuchi