平和経 第117話
神様のみ旨
日付:一九八五年八月二十日
場所:アメリカ、ワシントンDC、オムニ•ショーハム•ホテル
行事:宗教の自由連盟主催ダンベリー連邦刑務所出監歓迎晩餐会
尊敬する宗教の自由連盟委員長、そして委員の皆様、全国から集まってくださった聖職者の皆様、そして紳士淑女の皆様。このように挙国的に、超教派的に意義深い場を準備して、私の出監を歓迎してくださったことに対して、心から感謝を申し上げます。
さらに、私が法廷闘争を行っているときから法廷嘆願書、宗教の自由に関する集会、特別祈祷会、同苦の会、カウサ聖職者連合に参加するなど、積極的な支援をしてくださった聖職者の皆様に、重ねて感謝を申し上げます。また、多くの方々が私に激励の書簡を送ってくださり、祈祷で支援してくださったことなどに対し、忘れることのできない感謝の気持ちをもっています。
神様のみ旨と人間の完成
私は今回で、私の生涯において六度目の監獄生活を経験しました。難しい立場でも神様と感動的な交流をすることができました。以前もそうであったように、今回も私が個人的な理由や失敗によって監獄に入ったのではありません。ですから、獄中で迫害者を恨み、自らの無念さを訴えることよりは、神様のみ旨を立てるために、神様のみ旨に従うべきアメリカと世界を心配する、深い瞑想と祈祷を捧げる有益な時間をもつことができました。
私の決意と生涯は、世の中が知ることのできない神様の恨を解いてさしあげ、神様のみ旨をこの地上に成し遂げることです。私と私たちの運動は、今日に至るまで、深刻な無理解と迫害が続いてきました。神様のための至上課題の前には、親族から認められないことが問題ではなく、一般大衆や教団、または国家や世界が反対することが問題ではありませんでした。私は生涯を通して神様の深い心情と愛を確認し、これを証してきました。ですから、私にとって神様は、想像の中の漠然とした神様ではなく、生きていらっしゃる神様であり、私の心情と私の細胞一つ一つで体恤される神様でいらっしゃいます。
神様のみ旨のための道において、同役者(共に働く人)であられる牧会者の皆様。皆様がきょう、私の出獄をこのように歓迎されるのは、レバレンド•ムーン個人に対して歓迎しているのではなく、神様のみ旨のために生きてきたレバレンド•ムーンを歓迎するものであると思います。この機会に、私たちすべての最大関心事であり、一番の課題である「神様のみ旨」について一考することで、きょうの私の挨拶に代えようと思います。
神様は、永遠、絶対、不変のお方です。ですから、そのお方のみ旨も、永遠、絶対、不変であるに違いありません。神様が人間を創造されるとき、目的と理想をもって創造されました。その目的が成し遂げられた世界は、愛によって統一された世界であり、神様を父として侍り、全人類が兄弟姉妹として仲むつまじく暮らす、神様を中心とした人類大家族の世界です。
愛の本体であられる神様は、愛のために人間を創造されました。愛は独りで成立するものではありません。したがって、神様が絶対に必要とされる唯一のものは、その愛を施せる対象、すなわち神様が愛することのできる対象なのです。相対がいてこそ愛することができます。愛と心情の本体であられる神様は、その愛が動機となって宇宙を創造されたのであり、特にこの期間に、創世記第一章二十七節のみ言どおり、神様に似た実体対象として人間を創造されたのです。ですから、万民において、神様は永遠な無形の内的父母であり、完成したアダムとエバは永遠な有形の外的父母(先祖)になるのです。最大の愛は、主体と対象が永遠の愛を与え合い、完全に一つになるときに現れて結実します。真の愛の中では自動的な統一が展開し、また生命が連結されて理想が実現されるのです。
神様のみ前で最も貴い対象存在であるアダムとエバが、神様の愛を中心として父母と子女として、主体と対象として、また無形の創造主と有形の実体として、完全調和統一された永遠の愛と生命の理想を成就することが神様のみ旨でした。よく、創造主と被造物は対等な立場に立つことができないものだと言われてきました。もしそうだとすれば、その創造主の前には愛の理想の実践は不可能なのです。神様の愛の理想は、子女であるアダムとエバを有形実体対象として立て、永遠に彼らと合一するというものでした。コリント人への第一の手紙第三章十六節のみ言のとおり、神様は人間の中にいらっしゃることを願われます。無形である神様の愛の理想が実体の人間を通して実現される起点は、人間が神様の対象体として完成する瞬間です。人間が神様を中心として人格的に成熟し、心と体が完全に一つになることによって、神様の愛と理想と生命の永遠の対象になることを意味します。アダムとエバが神様の子女として理想的個体になれば、やがて理想的家庭に発展し、次に理想的社会、国家、世界へ発展して、絶対愛に対する感応で得た生命の喜び、幸福の理想、そして調和統一の天国を完成するのです。
無形の主体としていらっしゃる神様は、果てしなく遠い始源から、愛の宇宙史的刺激を充足させる対象を慕わしく思ってこられ、有形無形の完全な対象体として人間と相まみえるその愛の刺激がどれほど大きかったでしょうか。神様がアダムとエバを地上に造られたので、天国は地上で先に造られ、地上で理想的な生活をして霊人体が天上の永遠の天国に行くようになっているのです。
人間は主体と対象、すなわち相対的なカップルとして造られ、また人間のために存在する全万物世界も愛の原理のもとに調和し、また人間の愛によって生命と理想を実現するようになっています。
万物世界は人間にとって、特に成長するアダムとエバにとって愛の教科書であり、愛の真髄が無尽蔵に陳列された博物館です。神様の一つの性をそれぞれ代表したアダムとエバが、神様が許諾された愛の教科書である自然の中で愛を体恤しながら、完全に育って横的に一体となる相対理想を実現することが、宇宙史的な神様の創造の希望でした。
神様の愛は、神様と人間が主体と対象として縦的な愛の関係を完成することだけを目標とされたのではありません。縦的な愛を完成してアダムとエバ自身の横的愛の結実をもたらそうとされたのです。その瞬間が正に、内的父母であられる神様が、外的父母であるアダムとエバと完全一体となるために臨在される、愛の理想成就の瞬間です。無形の父母であられる神様が、アダムとエバの形状をまとわれて、有形世界に永存なさる父母になるのです。この時、アダムとエバは真の父母、真の先祖になるのです。
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