平和経 第24話

6.真の平和の根本原理

日付:一九九四年三月二十七日

場所:韓国、ソウル、ロッテ•ホテル

行事:第二回「世界平和会議」

敬愛するゴルバチョフ元ソ連大統領、著名な議長団および元•現職国家元首の皆様、そして尊敬する紳士淑女の皆様。このたび、第二回「世界平和会議」にこのように御参加くださり、深く感謝申し上げます。

世界的難題の解決点

今、私たちは、二十一世紀、国際化と世界化の時代を迎え、世界平和を遮る数多くの難題を解決しなければならない時点に立っています。きょう私は、このような世界的難題の根本に対する根源的解決方案が何であるかについて、生涯をかけて天意に従って努力してきた所信の一端を簡単に披瀝(ひれき)させていただこうと思います。

世界は争いと混乱と憎悪に満ちた罪悪世界になっています。国家も、社会も、家庭も、個人もそうです。どうして世界がこのように悪くなったのかと言えば、人間個々人において、歴史を通じて心と体が闘ってきたからです。この闘いは歴史と共に始まり、現在まで継承されてきているのです。

闘う個人から始まり、自然に闘う家庭、闘国家、闘世界となり、神様の最も嫌う悪なる地獄世界を形成しました。闘う世界の始発点は、個々人である男性と女性の二人の問題です。ですから、世界中の複雑多端な問題も、闘っている心身と男女、この二つの問題さえ解くことができれば、解決するでしょう。

心身はなぜ分裂したのでしょうか。男性と女性はなぜ和動、統一ができなかったのでしょうか。誤ったからです。人間は堕落によって心身が分裂し、男女の紛争が起こり、神様を失ってしまいました。サタンを中心とした悪の世界になってしまったのです。

したがって、問題の解決点は、第一に、神様を探し出すことであり、第二に、悪なるサタンを追放することであり、第三に、心身が統一された男性と女性を探し出すことです。神様は、エデンの園からアダムとエバを追い出しました。堕落したアダムとエバは、サタンを中心として結婚し、子女を生みました。そうして人類始祖は、サタンの血統を相続するようになったのです。血統が汚されてしまったというのです。

サタンとなった天使長は、神様の姦夫の立場に立つようになりました。愛の関係を結べば所有権が決定されるのが天理原則なので、人間の先祖はサタンの所有になってしまったのです。本来、神様の真の愛を中心として心と体が一つになるはずでしたが、心に神様の真の愛が完成する前に、サタン側の偽りの愛が結ばれ、サタンが体に根を下ろしたのです。ですから、本来、心がプラスの立場にあるべきなのですが、体がもう一つのプラス的立場に立ち、強く反発することによって、心の世界を引っ張り回すのです。

それで神様は、宗教を通じて真の愛の力を心に与え、偽りの愛で一つになった体を絶対に屈服させようとされるのです。心身が真の愛によって統一されてこそ、神様がいらっしゃるところに帰っていくのです。

良心の命令に絶対服従

堕落した先祖は、偽りの先祖となり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の偽りの個人、家庭、社会、国家、世界の地獄を築くようになったので、これを打破し、神様を中心とした真の父母の真の愛、真の生命、真の血統を復帰して、本然の世界へと回復するのが、宗教の道であり、救世主メシヤが来られる目的なのです。

神様もお一人では寂しいのです。神様も相対理想を中心として天地創造をされました。なぜならば、真の愛を得るためです。被造世界を見ると、ペア•システムになっています。鉱物世界も、植物世界も、動物世界も、人間世界も、すべて主体と対象の関係になっているのは、人間の真の愛の理想のモデルを立てようとするところにあります。

真の愛ゆえに、女性は男性のために生まれ、男性は女性のために生まれました。世界の問題の解決は、真の愛を中心として、心と体、男性と女性が一つになるために存在するところでのみ完成することができます。真の愛は、相対のために存在するところでのみ得られるのです。サタンの愛は自己中心的な愛であり、神様の愛は利他的な愛です。正反対です。今や無形の神様は私たちの真の愛の理想の主体であり、私たちはその絶対的対象の立場にいるので、第二の神様の立場にいることを確信し、無形の神様と真の愛によって心身一体を完成し、自分の心に、神様のように絶対に侍るところでのみ、堕落した体からサタン世界を追放できるのです。

そして、良心の命令に絶対服従するところでのみ、「本然の自我」を取り戻すことができます。神様は、私たちの父母の中の父母であり、師の中の師であり、主人の中の主人なのです。これが、天地を中心とした三大主体思想です。私たちの良心のみが、主体思想を達成する対象の立場で絶対一体にならなければならないので、良心の位置は、私たちを生んでくれた父母より、師より、いかなる国の王よりも優る立場に立たなければ、神様の愛の対象の立場に立てないのです。良心は教育が必要ありません。神様の代わりに絶対に仕えなければならないのです。

良心は、自分のすることで知らないことがありません。すべて知っています。良心は、体が悪いことをしようとするとき、いつも反対しますが、体が自分勝手に心を引っ張り回すのは、堕落した愛の力が、堕落するときの良心の力よりも強いからです。しかし、人間が良心を中心として完成圏に到達し、神様と真の愛の関係を結んだなら、いかなることも問題になりません。

エデンの園におけるアダムの家庭は、神様が理想とされた真の愛の家庭でした。見えない無形の存在全体を現すための創造だったのです。神様と人間は、真の愛を中心とした主体と対象の関係でした。神様の心の中にある無形の子女、兄弟、夫婦、父母として、真の愛の実体完成を願い、アダムとエバの二人を創造したのです。神様は、子女の真の愛の完成を願い、実体の家庭の兄弟として、実体の夫婦として、実体の父母として、真の愛の対象を創造されました。

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Luke Higuchi