平和を愛する世界人として 第33話

海に未来がある ①

 

幼い頃から、私の心はいつも遠いところに向かっていました。故郷では山に登って海を慕い、ソウルに来てからは海の向こうの日本に思いを巡らしました。常に、今いる世界よりも、もっと広い世界を夢見ていました。

1965年は、私が初めて世界巡回に出た年です。トランクいっぱいに韓国の土と石を詰めて持っていきました。世界を回って、要所要所に韓国の土と石を埋めるつもりでした。8ヵ月半で日本とアメリカ、そしてヨーロッパなど40カ国を回りました。

ソウルを出発する日、数十台のバスに分乗してやって来た信徒たちで、金浦空港はいっぱいになりました。北西の風が激しく吹きつける1月の飛行場に、黒山の人だかりができました。その頃は、外国に出ていくのはかなり大変なことでした。彼らが空港に集まったのは、誰かに言われたからではなく、自分の心が導くとおりにしたことです。私は信徒たちの思いをありがたく受け取りました。

当時、私たちの宣教国は10カ国をわずかに超えるほどでしたが、私は2年で40カ国に増やすつもりでした。40カ国を巡回したのは、その基礎を固めるためでした。

最初に訪問したのは日本です。密航して宣教を始めた日本で、私は大々的な歓迎を受けました。国法に背いての命がけの危険な出発でしたが、今考えてみれば、当時の私たちの選択はとても適切なものでした。

私は日本の信徒たちに尋ねました。

「皆さんは日本的ですか? そうでないとしたら、日本的なものを超えましたか?」

私は話を続けました。

「神が願われるのは日本的なものではありません。神は日本的なものを必要とされません。日本を超えたもの、日本を超えた人を必要とされます。日本の限界を超えて世界に向かう日本人であってこそ、神が用いることができるのです」

日本の人々には冷たく聞こえたかもしれませんし、寂しく感じたことでしょう。しかし、私はあえてきっぱりと話しました。

次に訪れたのはアメリカです。サンフランシスコ空港に降りた私は、アメリカ宣教師と共に2ヵ月間アメリカ全域を回りました。各州を巡回している間に、「全世界に号令する中心本部はアメリカだ。これから創建する新しい文化は、必ずアメリカを踏み越えていかなければならない」と痛感しました。私はアメリカの地に500人収容できる修練所を建てようと計画しました。もちろん、韓国人だけでなく、100以上の国から修練生を受け入れる国際的な修練所を建てることが目標でした。

幸い、その願いは間もなく果たされました。その後、毎年100カ国から4人ずつ送られたメンバーが修練所に集まり、半年間世界平和を研究し、討論することになりました。それは今でも続いています(この国際修練所は後に統一神学大学院となる)。人種や国境、宗教は何の関係もありません。私は、人種と国境、宗教を超えた多様な考えを持つ人たちが集まり、世界平和について虚心坦懐に議論することが、人類を成長させ、世界をより発展した社会にすることだと信じています。

アメリカを巡回する間に、ハワイとアラスカを除く48州はすべて行きました。後部座席に荷物を載せられるワゴン車を借りて、昼夜兼行で走りました。運転手が居眠りをすることがあると、「おいおい、疲れているのは分かるよ。しかし、遊びで来たわけではないのだ。大きな仕事をするために来たのだから、しっかり頼むよ」と言って、励ましました。どこかに楽に座ってご飯を食べることもしませんでした。車の中で、食パン2枚にソーセージを1つ入れ、ピクルスでものせて食べれば、立派な一食になります。朝昼晩といつもそうやって食べました。寝るのも車の中です。車が宿であり、車がベッドであり、車が食堂でした。狭い車の中で、食べて、寝て、お祈りしました。何でもできないことがありませんでした。その時の私には達成すべき明確な目標があったので、体が少々不便なことぐらいは十分に耐えることができました。

アメリカとカナダを経て中南米を回り、次にヨーロッパに渡りました。私の目で直接見たヨーロッパは、完全にバチカン文化圏でした。バチカンを超えなければヨーロッパを超えることはできないと思いました。峻険といわれるアルプスも、バチカンの威勢の前には何でもないものでした。

ヨーロッパの人々が集まって祈りを捧げるバチカン(カトリック教会の総本山であるローマ教皇庁やサン・ピエトロ大聖堂がある)で、私も汗をぽたぽた流して祈禱しました。数多くの教派と教団に分裂した宗教が、何としてでも一日でも早く統一されるようにお祈りしました。神様がつくられた一つの世界を、人間がそれぞれの立場で自分たちに有利になるようにあちこち分けてしまったものを、必ず一つにしなければならないという思いが、より確固たるものとなったのです。その後、エジプトと中東を経てアジア各国を回ることで、8ヵ月半の長い巡回を終えました。

ソウルに帰ってきた私のトランクには40カ国、120カ所の地域から持ってきた土と石がいっぱいに入っていました。韓国から持って行った土と石をその土地に埋めて、新たにその場所から持ち帰った土と石です。土と石で世界40カ国と韓国を連結したのは、朝鮮半島を中心として平和世界が実現する未来に備えるためでした。私は、40カ国すべてに宣教師を送り出す準備を始めました。

Luke Higuchi