天聖経: 第332話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第十一篇 礼式と名節

第一章 侍る礼法

第一節 侍る生活 1-10

1 これから、皆さんは、侍る生活をしなければなりません。今までは信じることによって救いを得る信仰生活をしましたが、これからは侍ることによって救いを得る時代です。本来、人間が堕落しなかったならば、神様に侍る道を行くのです。侍るときは、皆さんの生活と心で侍らなければなりません。皆さんがどこかに行くとき、必ず前には真のお父様が、後ろにはお母様がいることを感じなければならず、左右と上下には必ず天が共にあることを感じなければなりません。

統一教会員たちが何かの公的な責任を負い、任務を遂行するに当たって難関にぶつかり、独りでは解決できない問題があるときは、水を浴びて心身を清め、天のみ前に祈りながら問い掛ければ、教えてくれるようになっているのです。皆さんの心情の程度が、天の標準とする基準まで行っていないために教えてくれないのであって、その基準まで行けば教えてくれるようになっているのです。すべてのものを委ね、祈る気持ちをもってそこにぶつかれば、直感を通して自らの行く方向を提示してくれるようになっています。

 

2 これからは、侍って暮らす侍義時代です。侍ることによって救いを得るのです。今までは蕩減によって救いを受けました。天に侍って暮らせる侍義時代に入らなければなりません。神の国がなければならないのです。イエス様は、国がなかったために追い出されたのです。皆さんも同じです。先生のみ言をつかんで、歩んでいかなければなりません。み言を否定するサタンの権勢はありません。神様を中心として、そのみ言と霊界と歩調を合わせ、実体的家庭ができていれば、その家庭を中心として、いくらでも拡張できるのです。家庭がないのに、国がどのようにしてできますか。私たちの家庭から私たちの氏族が生じ、私たちの氏族を中心として私たちの国が生じ、世界が自動的にできるのです。その版図が、祝福を受けた家庭を通して形成されるのです。

 

今は神様に侍って生きる時代

3 統一教会では、信仰の天国を語りません。侍義を語ります。侍ることによって救いを受けるというのです。知らずに侍ることができますか。統一教会の教えを理解することは、問題ではありません。教えれば誰でも、すべて分かります。皆さんは、神様がいらっしゃることを一日に何回自覚しますか。二十四時間の中で、何回神様がいらっしゃることを感じますか。侍ることによって救いを受けようという人々が、二十四時間の中で、一、二時間程度侍ればそれでいいと思いますか。空気よりも、差し迫って必要なのが神様です。水よりも、差し迫って必要なのが神様です。御飯より、もっと貴いのが神様です。

 

4 皆さんは、神様の事情を知らなければなりません。その事情を知って、その次には神様の心情を知らなければならず、神様が私の父であると考えなければなりません。私の父、私たちの父だというのです。私たちが学び、聞き、侍る生活をするのは何のためでしょうか。それは、聖書に流れている神様の事情を知り、神様の心情を知るためです。傷を負い、蹂躙され、排斥され、引き裂かれながらこられたその神様が、私の父であることを知るためなのです。

 

5 すべての関係の中で標準になるのは、神様と人間の間に結ばれた父子の関係です。この関係から始まった心情は、いかなる存在の権限によっても曲げられることがなく、永遠で、不変、唯一のものです。また、この心情の権限は、絶対的です。そのため、この権限をもって現れるとき、すべての存在物は、その前に頭を下げざるを得ず、この心情の権限をもって動くようになるとき、満天下がそれに従って動かざるを得ないのです。これが宇宙の鉄則です。

 

6 五色人種(あらゆる人種)を抱いて、自分の家族や一族と共に暮らすことができるという、それ以上の腹をもたなければ、未来の理想世界である天国で、神様に侍ることはできません。そのため、統一教会の教会員は、人種を超えて結婚するのです。韓国人、日本人、アメリカ人が互いに結婚するのです。そのようにしなければ、先生が人類の心情世界において、主導的責任を果たすことができません。そのようにしなければ、「五色人種の中で白人だけを愛して、なぜ黒人を愛したという条件を立てないのか」と言われたりするのです。それで、韓国にいる人々と、白人、黒人、すべて一緒に結婚するのです。

 

7 侍る生活は、簡単ではありません。皆さんも簡単ではありませんが、先生も簡単ではありません。先生も、そのような内容があれば眠れないのです。先生がなさなければ、神様は身動きできません。解放されないのです。皆さんもそうです。皆さん自身が皆さんの生活舞台において、先生が動かなくてもよいようにしなければなりません。皆さん自身の足場が広がってこそ、活動舞台が展開するのです。

ですから、その環境において、皆さんが全体的に、そのような環境をつくっていこうとする心をもっていなければなりません。侍る生活は簡単ではないのです。父母が子女を愛する心以上に、神様に侍らなければなりません。父母は、自分たちが生まれて二十数年の間、精誠を尽くしたのです。神様は、何千万年です。人類が生まれてから、何千万年です。何千万年の間、慕わしく思った息子に会うために投入し、精誠を尽くしたというのです。精誠を尽くしたからといって、「私は精誠をすべて尽くした」と考えてはいけません。精誠を尽くしたあとも、不足だと感じなければならないのです。

 

8 神様は、皆さんの近くにいらっしゃり、誰よりも皆さん一人一人を心配される方です。世の中では、肉親の愛が一番大きいと思っていますが、神様の愛は、それよりも大きくて深く、世の中のいかなる人間的な愛よりも深くて大きいのです。このような神様の愛の懐に抱かれ、父を呼び求める皆さんにならなければならず、「父の悲しみを私は知っています」と言える立場で、神様の内的な心情を体恤する真の息子、娘にならなければならないのです。そのような息子、娘となり、神様をお迎えした天国を所有するならば、その天国はいかなる者も奪っていくことはできません。

 

侍る生活の心構え

9 神様は、妄想的で観念的な神様ではありません。抽象的な神様ではないのです。生活の中で主体性をもち、私たちが暮らしている生活の主人として、常に共にいるのです。侍られているだけではありません。愛を共有しながら共同生活をしている神様です。先生は、このような環境で、今まで一生の間、サタンと闘争してきました。このような人に、世の中がいくら反対しても、天が守ってくれるところにおいては、サタンは打つことができず、崩すことができません。そのような基盤が立っているので、打てば、彼らが倒れるようになっているのです。

 

10 神様を心の中にお迎えし、体の立場で人間が完全に一つになる起源をつくらなければ、この悪魔の世界を清算する道がありません。それで、侍義の救援時代だと見るのです。侍ることによって救いを受けるのです。神様は、あの空の遠く彼方にいらっしゃる方ではありません。私たちの生活圏内の主体者として、神様に侍らなければなりません。侍るには、どのようにしなければなりませんか。蕩減原則に従って、歴史時代に神様が悲しみ、苦痛を受けたすべての事情を解いてさしあげなければなりません。

 

Luke Higuchi