天聖経: 第121話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第五篇 真の家庭

第一章 神様のみ旨から見た真の家庭

第四節 家庭は幸福の基台 24-31

第二章 本然の男女の愛と祝福結婚

 第一節 思春期の変化と男女の愛 1-2

24 人間が、見えない神様の代わりに創造の喜びを感じる所が家庭です。世界を見れば、子女のような人々がいて、自分のような人々がいて、父や母のような人々がいて、そして祖父母のような人々がいます。

彼らを測ることのできる物差しがあると考えてみてください。子女の物差し、夫婦の物差し、父母の物差し、そして祖父母の物差しがあるとすれば、その一つの母体が家庭です。これを拡張すれば世界になります。そのように、自分の家庭の代わりにこれを主体とみなし、この世界を相対のようにして、プラスとマイナスのようにして回るのです。そのように回りながら暮らした人々が入る所が天国です。この世の中は、天国に入れるようにする訓練場なのです。

 

25 家庭は、理想の国と理想の世界を愛で占領できる訓練場です。さらには、天の国と神様までも占領できる訓練場です。ここから愛を投げて力いっぱい引っ張れば、世界がつながってきて、霊界がつながってきて、そして神様までつながってきます。結局、理想的な家庭とは、宇宙を愛で釣り上げる所です。

 

26 神様は縦的な父母です。永遠に離れることはできません。家庭で父母に侍るのは、永遠の世界で神様、すなわち縦的な真の父母に侍るための訓練です。そして、天の国は愛の世界です。愛の世界は空気が愛からなっています。そこに適応するために訓練する所が家庭です。真の愛の概念には、与えるという意味が入っています。思いどおりにするというものではありません。それは皆さんが家でするように、容易なことではありません。難しい道なのです。

 

27 家庭において、祖父母と父母に侍る孝の道理を教材として世界に適応する人は、霊界に行っても、何億万年の拡大されたその歴史を過ぎてきたとしても、通じない所がなく、どこでも歓迎されるのです。ここに平等があり、調和があり、そして統一があります。東西南北が平等、調和、統一です。このような中心が現れれば、自由が広がります。自由は神様と共にあるのです。その位置に通じるようになれば、全被造万物が歓迎します。それが自由の本当の意味なのです。

 

28 神様の愛を受けることのできる息子、娘として、神様の愛を受けることのできる兄弟として、そして神様の愛を行使できる夫婦として暮らしながら、神様がアダムとエバを愛したのと同じように、第二創造主の立場から、自分の息子、娘を愛し、それから逝くのが人生行路です。始まりも愛であり、過程も愛であり、終わりも愛です。愛の教科書に一致する完成品として入っていく所が天国です。そこに入っていく場合には、個人として入っていくのではありません。家庭全体が入っていかなければならないのです。

 

29 家庭には、祖父母、父母、それから息子、娘がいます。世界も同じです。自分の祖父母よりも世界の祖父母の年齢の人々を一層愛し、自分の父母より世界の父母の年齢の人々を一層愛し、自分の息子、娘より世界の息子、娘の年齢の人々を一層愛することのできる訓練さえできていれば、天上世界で数多くの人々といつも通じることのできる完成体になるのです。

 

30 家庭で父母を中心として、夫婦を中心として、子女を中心として、家庭の人たちが不変的な愛で一つになった家庭になっているでしょうか。家庭的宝物になっているでしょうか。宇宙が見つめるときに、失うことのできない、あらゆる人間が願うことのできる家庭をもったのでしょうか。そのような家庭を単位として、それを横的に拡大するとき、神様が愛することができ、放っておくことのできない氏族圏をもたなければなりません。それから、その基盤を拡大して民族圏をもたなければなりません。その民族圏を拡大して国家圏をもたなければなりません。その国家圏だけではいけません。世界圏をもたなければなりません。また世界圏だけではなく、霊界圏まで地上世界に連結される愛の統治の舞台と統一された権限をもたなければ、人間は完成できません。人間が解放される道がないというのです。

 

31 本来、神様が創造理想として男性と女性を造られたのは、愛のためでした。ですから、愛の生活をした人が天国に入るのです。天国が実りを収穫して刈り入れる倉庫ならば、愛を中心として夫婦になって築いた家庭の入る所が天国です。その家庭を標榜して地上で私たちの家を完成することによって、「私」の故郷全体が自分を歓迎するようになります。その人は、神様の愛の懐に抱かれて、愛を受けることのできる代表的な息子、娘であり、孫、孫娘です。これを皆さんの家庭で実践躬行することによって、天の国に直行できる立場に立つのです。

第二章 本然の男女の愛と祝福結婚

 

第一節 思春期の変化と男女の愛

 

1 神様には、アダムとエバを万物の主人公として立てて願われた目標がありました。彼らに神様の愛の感情が宿り、万物を造られた神様の創造の感情が宿ることを願われたのです。思春期に差し掛かると、万物に接するときに神秘的な感覚を感じるようになります。皆さんも情熱が最高潮に燃え上がるときに詩を書けば、驚くべき詩を書くことができます。同じように神様は、大宇宙の心情を備えた人間として完成することを目標に設定し、人間を造られました。

そして、人間がその目標どおりに成熟することを待ち望まれました。時を待ったのです。彼らが成熟すれば成熟するほど、男性が女性に、女性が男性に接するとき、それぞれ互いを大宇宙全体の実体として感じるように願われたというのです。彼らの感情世界に神様も入り、万物も入ることができる程度にまで人間が成熟するように願ったのです。

 

思春期の変化と成長

2 思春期の時期には、天下の王者になった気持ちになります。自分を中心としてあらゆることを考える時期です。このように思春期の時代は反発する時代なので、自分を分かってくれなければ、いくらでもほかの道に行きかねません。ですから、今日、青少年たちの問題が世界的な問題になったのです。

思春期の時は、どんなことでも自分を中心にしなければ喜びません。しかし、自分と関係を結んだときは、それがいくら微小なものだとしてもうれしくなります。二十歳前後になる娘たちをよく見ると、訳もなく笑います。秋に葉がみな落ちた柿の木から、熟した柿がぼとりと落ちるのを見ても笑います。それは訳もなく通じるというのです。すべてのものが自分と関係を結んでいるので、最高の感情が誘発されるのです。

したがって、思春期というものは、あらゆるものに接して縁を結ぶことができる転換点です。神様の愛を中心として、男性と女性を一〇〇パーセント一つにするための神様の創造本性が土台になっているからです。

Luke Higuchi