天聖経: 第125話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第五篇 真の家庭

第二章 本然の男女の愛と祝福結婚

第二節 祝福結婚の意義と価値 19-30

19 アダムとエバが堕落せずに完成していれば、祝福の場に参加していたはずです。言い換えれば、アダムとエバは、神様の実体対象として、神様が主体となれば彼らは対象になります。そのような立場で、愛の主体となられる神様から対象的な立場の愛を連結させることのできる土台は、結局、完成することによって形成されます。

完成とは、結婚のことをいうのであり、結婚とは神様の愛の顕現をいうのです。結婚がなければ、人類世界に愛が始まりません。その愛の主人は、人間ではなく神様です。その神様の愛が人間の中に現れるようになるとき、真の愛になります。また、人間の中にその天的な真の愛が形成されるようになるとき、それが神様の誇りとなり、喜びとなるのです。神様の愛として感じることができるのです。

 

20 福の中で最も貴い福は、神様の愛です。最初は、神様の愛の福を受けるのです。その次には、神様の創造の権限を引き継ぐのです。神様が愛を中心としてアダムとエバを創造し、喜ばれて希望をもったのと同じように、人間にも平面的な、横的な基準で創造の権限が賦与されるというのです。その喜びを賦与されるのが子女です。

皆さんは、なぜ子女を愛さざるを得ないのでしょうか。それは、神様の創造の偉業を横的な実体圏で受け継いだのと同じだからです。アダムとエバを造って神様が喜んだ、その喜びを人間も感じるのです。神様の愛を受け継ぎ、神様の創造の権限を受け継いだのです。神様が全天地万物を主管されるのと同じように、私たちは横的な立場にありますが、私たちに万物を主管できる権限を賦与したのです。

 

21 皆さんは、祝福の価値を知らなければなりません。その一時を望む再臨時代には、祝福の基準を完結しようというのです。歴史を代表し、天地を代表し、万民を代表して、摂理の全体を代表してすべての問題を解決し、すべてのものを決定して一カ所に越えてくることによって、新天新地が出発するようになります。祝福の関門とは、このように途方もないのです。これは、イスラエル民族を差し出しても買えないものであり、数多くの預言者や烈士たちと取り替えられないものであり、六千年間神様が苦労されたすべてのものとも取り替えられないものであり、二千年間イエス様と聖霊が苦労したすべてのものとも取り替えられないものであり、今まで万民が苦労したすべてのものとも取り替えられないものなのです。

 

22 先生の生涯で最も貴いと考えたものが何だったかというと、祝福でした。皆さんにとっても、有史以来、最高の贈り物は祝福です。神様の祝福を受けた者は、神様の代身者です。したがって、皆さんが祝福を受ければ、家庭を備えてサタンを屈服させなければなりません。サタンを審判しなければならないというのです。その次には、四位基台を復帰して勝利的な主管者にならなければなりません。

 

23 天の父母と地の父母が愛を中心として一つになるのが結婚式です。初日に男性と女性が一つになるのです。「合徳」という言葉があるでしょう。一つの体になったところには神様が入っています。内的な性相と形状である神様が外的な性相と形状、アダムとエバに入り、愛によって二つの世界が一つになります。

霊的世界の見えない性相と形状がプラスであり、見える世界の性相と形状がマイナスです。大きなプラスと大きなマイナスが初めて一つになります。どこで一つになるのかといえば、愛の器官で一つになります。そのように一つになってこそ、そのアダムとエバの体を通して生まれた子女が、神様の息子であると同時に真の父母の息子になるのです。

 

24 完成して祝福を受けることができなければ、神様の形状も失い、神様の愛の相対も失います。神様のみ旨どおりになろうとすれば、第一に、形状をまとって愛の相対を探さなければならず、第二に、家庭のために、その子孫のために、国のために息子、娘が必要です。それが家庭です。家庭が完成する日、その家庭が成立する日、神様の形状をもつようになり、愛の相対をもつようになり、愛する息子、娘をもつようになります。それでは、これが何で一つになるのでしょうか。血統です。中心の根と幹と芽がすべて一つです。根が一つです。神様の血統を受け継がなければなりません。見えない神様の血統と、見える神様の血統を受け継がなければならないのです。

 

祝福を受ける人たちの姿勢

25 祝福は、天地で最も貴いものです。同時に、極めて恐ろしいものです。もし夫婦が、互いに他のことを考えるとすれば、相手を蹂躙することです。皆さんから善の先祖、地、国が生じるのです。ですから、祝福を受けた人は、日を開けさえすれば、天地を考えなければなりません。祝福は、人に福を分けてあげるためのものです。夫婦は、お互いに心の母、父にならなければなりません。世の中の人たちが、「私たちもあなたたちの家庭のような家庭をつくりたい」と言うようにしなければならないのです。

 

26 統一教会は、家庭の伝統を尊重します。ですから、先生がしてあげた祝福には、万世のいかなるものとも替えられない価値のある内容があるというのです。ここに汚点や傷を残すことは一族の恥になり、一国の恥になり、そして、人類歴史を代表する恥になることを知って、家庭の再創建の確立のために全力を尽くさなければなりません。

 

27 祝福の場は、途方もない場です。ここでは、適当に自分の感情を通してすることは不可能です。一つの生命の価値は宇宙よりも貴いのです。したがって、一人に責任をもつときは、永遠を中心として責任をもたなければなりません。このような問題が左右される場が祝福の場です。ですから、自分の一生においてそのような一時をもったとすれば、彼は幸せな人です。このような途方もない祝福の場に皆さんが加担するためには、歴史的な決心をしなければなりません。

 

28 祝福の場は、皆さん自身の一代にたった一度しかない、最も貴い関係を決定する場です。ですから、皆さんはたくさん祈らなければなりません。精誠を尽くして祝福の場に来なさいというのです。相手を見ようとしてはいけないというのです。一番醜い人と結婚しようという考えをもたなければなりません。「私があの醜い人と巡り合うとしても、その人と幸せに暮らそう」と考えなさいというのです。

それなのに、唐突に自分一人で浮き足立ち、この人に心が飛んでいったり、あの人に心が飛んでいったりすれば、困ったことになるのです。自分のために祈る人は欲張りです。かえって祈らずに、「あなたのみ前にすべて委ねます。愚かな私が迎えるべき相手はいないでしょうか。ただ父の計らいのままにしてください。そのまま一人で老いて死になさいと言われれば、喜んでそのように生きて死にます」と考えなさいというのです。

 

29 結婚は、むやみにするものではありません。道端でたまたま出会った人同士でするものではありません。自分たち同士で親しくなったといって結婚すれば、結婚してすぐに異変が起こるというのです。自分たちなりの立場で通過しようとする、そのような立場に絶対に立ってはいけないというのです。祝福とは国のために、世界のためにするのです。また、それがすなわち後代のためなのです。

 

30 男性も女性も、今までみ旨が分からないときは、自分の思いどおりに生きたでしょう。未婚だというのは名ばかりで、男女の関係をもったという過去の汚点があるとすれば、とめどない涙で悔い改めなければなりません。そうすれば、祝福の期間を通して神様が赦してくださるでしょう。

一番福のあることは、純潔な女性なら女性として、純潔な男性なら男性として、神様が喜ぶ立場で天上のみ旨に従って互いが敬拝を捧げることです。そのような人は天地の幸運児です。天下の人生行路において、万事において成功した人です。そうでなかったならば、はらわたがひっくり返り、腹の中がひっくり返る立場で、天地がひっくり返る懇切な悔い改めをしなければなりません。きれいな心と体をもって「お父様、私は恥ずかしい体でございますので、どういたしましょうか」と言うとき、お父様が「分かった、私はあなたの気持ちをみな知っている。赦してあげよう。そのようなつらい峠を越えてきたことが父の喜びだ」とおっしゃるというのです。ですから、「すべて分かったうえで私が赦してあげよう」という、天の同情の力が自分自身にとどまることができる立場で祝福に参加しなければなりません。そのようにしなければならないのが、原則的な姿勢なのです。

Luke Higuchi