天聖経: 第89話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、
もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第四篇 真の人間
第一章 神様が創造された真の人間
第二節 真の人間の心と体 28-38
第三節 人間の創造目的と三大祝福 1
28 真を求めていくならば、絶対的に心のために生きる体にならなければなりません。これが一つになって、神様を中心として九〇度で天地に連結されれば、東西南北、上下、どこに行っても分かるのです。自動的に霊界と通じ、学ばなくてもすべて分かるのです。
先生はどのようにして天地の秘密をすべて知ったのでしょうか。その境地に入ったので、すべて分かるようになったのです。真の愛を中心として体と心が共鳴する境地に入ってみると、すべて見えたというのです。神様も見え、天上世界も見え、歴史も見え、すべて見えるのです。真の愛を通して関係を結び、縁を結んで、理想的な生活をすることのできる環境的要件が本来の神様の創造理想の原則だったので、その境地に入ってみると、通じない所がないのです。霊界の先祖も、呼べばさっと出てきて会い、何でも尋ねることができるのです。
心身一体を成し遂げる道
29 良心は、体が間違ったことをすれば、いくら夜中であっても「こいつ、やめなさい!」と言います。悪いことをしようとすれば、すぐに良心が呵責を受けるのです。死んでいた神様が生き返り、死んでいた師が生き返り、死んでいた父母が生き返るのです。ですから、良心が願うとおりにせざるを得ません。
人間が堕落する前にも、良心と体が闘ったかというと、そうではないのです。神様は良心と体が闘っていないのに、そのような神様の息子、娘になれなかったので、心と体が闘うのです。根源がすべて変わってしまいました。簡単な原理ですが、聖人や賢人もこれを解決できませんでした。先生もこの問題にぶつかって、どれほど身もだえしたか分かりません。それで「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」と言うのです。この体が宇宙の怨讐です。
30 すべての人間は、それぞれ自分の中に最も貴重な師を、一生の間もち続けています。それにもかかわらず、その師を不当に待遇し、踏みつけて濫用するのです。その師が正に、人間の良心です。私たちの良心は常に、私たち自身に助けになるように話し掛け、私たちを真の愛と連結してあげようとします。私たちの良心は父母のように、私たちが善で、非利己的な人になるように促し、神様のみ旨に従って行動するように導いてくれます。しかし、私たちには良心の声にいつも逆らう反乱者がいます。その反乱者が正に肉体です。
31 堕落した世界の父母と師と主人は知ることができますが、人間として知ることのできないその主人が良心です。神様の本然の父母の根、師の根、主人の根を人間に植えてくれたのが良心です。これを先生が知って驚いたのです。先生が探し求めてきたすべてのものの最後の終結、隠された家が良心でした。「私には神様に責任を追及する何ものもない。私の良心の使命を果たすことを追求するしかない。責任を追及する場所がないのだから、私が責任をもとう」と進み出たのが、先生の立場です。そこにおいて、神様は先生を愛さざるを得ないのです。
32 良心革命は、良心の声に絶対服従しなければならないという内的革命です。皆さんの中に、いまだ善を指向する良心の命令と、肉身の欲望を求める肉心の誘惑が、絶え間ない葛藤を続けています。そのような恥ずかしい内面の闘いを終息させるためには、良心の位置と作用を確実に知らなければなりません。
良心は皆さんの一挙手一投足、さらには皆さんの考えまでも、一点一画の加減なく把握しています。皆さんの師よりも先に分かるのです。皆さんの父母よりも先に分かります。神様よりも先に分かるのです。そのような良心の命令に逆らえば、皆さん自身が呵責を受けます。皆さんの魂にほこりがたまり、垢がつき、傷ができるというのです。その傷は、永遠に消すことができず、そのまま霊界に背負っていかなければならない重荷となります。したがって、革命的な次元で自分の肉身を抑制し、良心の案内を受けて神様のみ前に進みゆくその日まで、傷のない、澄んだ、きれいな魂を保ちなさいというのです。
33 本来、心と体は、切り離そうにも切り離すことのできない一つのものでした。人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を入れる器でした。ところが、人間の堕落により、人間の体を悪魔に差し出したのです。そのときから人間の体は、悪魔の僕になりました。
人間の良心は、神様を代表する心です。良心は、「私」のために存在するのではありません。天の義のために存在するのです。良心は常に、善に向かって走ろうとします。これに体は反抗します。体は自分だけが安らかでいようとし、利己的で本能的要求に従って肉欲を満たそうとします。良心はこの体を叱責し、心に順応させようとします。ここから、常に血のにじむ葛藤と闘争が、一つの体において起こるようになるのです。
34 すべての宗教は、自らの体を打つ道を教えてきました。宗教は、肉欲を制御し、体を心に屈服させる道場なのです。宗教は、人間を創造本然の人間へと引っ張っていく道場です。しかし、神様を自分の中に迎え入れなければ、自らの体を征服する者は誰もいません。ただ神様の真の愛と真理の力を中心として、主体の心は対象の体を従わせ、神様と一体理想を成し遂げるようになっているのです。これが、宗教の語る完成した人間です。
35 人間の貴重な価値を満点にするのは、真の愛と一体となるときに可能です。心身一体とは、良心と肉身が共鳴圏に立っていることを意味します。音叉の振動数が同じとき、一つをたたけば、その反対の音叉が響きます。それと同じように、真の愛によって良心をたたけば、肉身が響きます。真の愛で肉身をたたけば、良心が共鳴圏をつくるようになるのです。そこには教育が必要ありません。その真ん中に入っていけば、教えるべきすべてのことが分かるようになっているのです。
36 人間自体を見れば、体と心が闘っています。それは今日、この時代に始まったことではありません。私たちの宗主である先祖から、聖書に記録されたアダムとエバが堕落した直後から、このような作用が起きているのです。歴史上の聖賢の中で、「私は人類歴史において人間を代表し、体と心が闘わず、完全に統一を成し遂げたので、私を手本にしなさい!」と言った人がいましたか。
心も重要で、体も重要です。より重要なことは、「私」の体と心の統一圏です。それが重要です。それが形成されていない人は、いくら世界が統一されたとしても不幸な人なのです。統一された世界で不幸な闘いをする自分自身は、その世界に吸収、消化されません。反発を受けるのです。追放されるというのです。ですから、世界の統一に先立ち、新しい世界の理想的ビジョンを成就する前に、私自身がそれを受けて消化し、和合できる自分を発見できなければならないのです。
37 統一教会の人は、どんなことがあっても心身一体圏を形成しなければなりません。この生涯の間に心身一体圏を形成できない人が、愛を考え、理想を考えるということは恥ずかしいことです。天運に反するのです。そのようなものを完成した自分自身を目指すところに、新たな希望の道が連結されるのであって、ただそのままの基準では、新たな希望の天国に連結される道が現れません。
38 創造本然の人間は、その心と体に神様の真の愛をもち、そのまま感応しながら生きるようになっています。心は真の愛を中心として神様に感応し、体は自動的に心に共鳴するのです。体と心が闘うことのない真の統一の起源は、神様の真の愛をそのまま受け継いで体感する所にあります。心と体が統一体になるという人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有するときに成し遂げられるのです。心と体が真の愛を中心として統一されるところから、真の自由と平和の理想が出発できます。そして、心と体が統一された基盤の上で、自由で平和な個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を成し遂げることができるのです。
第三節 人間の創造目的と三大祝福
1 神様が天地を創造するとき、絶対信仰と絶対愛、絶対、唯一、不変、永遠のその理想から造りました。神様のみ言どおりに創造したのです。み言のとおりになるということであり、絶対信仰の上で神様と一つになるということです。そして、その創造は、神様が必要な相対者を求めることです。見えない神様、無形の神様が見える神様として現れ、神様の代わりに形状をもち、神様の愛の相対をつくろうということです。それで創造の第一の目的は、体をもつことです。無形の神様なので、今後、人間を中心として創造理想が完成すれば、体をもったアダムとエバと、体をもったアダムとエバの息子、娘が霊界に来ることにより、神様が霊界でも父になり、王になるというのです。ですから、体がなければならないのです。それでは、神様が体をまとって現れたその姿は、誰の姿でしょうか。完成した夫婦が神様の祝福を受けて一つの体になった、そのアダムとエバの顔です。そのアダムとエバは、神様の愛の相対です。