天聖経: 第29話
第一篇: 神様
第四章 解放してさしあげるべき神様
第三節 解放してさしあげるべき神様 20-26
20 神様の目から涙が流れ、胸には赤い血が流れ、血が流れるべき血管が詰まり、胸が詰まって瀕死の状態になった神様を、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理でもって解怨成就してあげなければなりません。その神様が私をかき抱いて「御苦労だった」と涙を流されても、涙を流さずに、「私は何の関係もありません」と言って神様の涙を止め、背を向けながら涙を流そうという、天理を抱いてきた人が真の父母です。
21 神様を私の手で解放しなければなりません。神様は解放された神様ではなく、拘束された神様です。ただ息子、娘を失っただけでなく、孝行息子、孝行娘を失ってしまったその父母の心を解いてあげるために、その孝行息子以上にあらゆる面を備えて、十倍以上の功を尽くして孝行しても、その本来の心を解放することはできません。先生がそのような神様を解放しようというのです。今日、キリスト教では、神様はあらゆる能力があって思いどおりにできると思っていますが、それは大きな思い違いなのです。
22 先生を見ると、何でもないように見えますが、考えることが違います。思想が違うというのです。顔が、体が偉大なのではなく、思想が偉大だというのです。神様までも動かざるを得ません。神様までも先生についてこなければならないという精神、それが偉大なのです。愛の目的を達成できていないその神様を、先生が愛をもって解放することを主張します。愛の目的を成就できなかった恨をもっている神様が、先生に出会って解放されたという話は、理論によるものです。体系的な理論、科学的な実証的結果によってこれを主張するのです。
23 神様の心の中で、解放的心情で称賛できる本然的理想の息子、娘の歴史はどこへ行ったのでしょうか。先生と統一教会の夫婦の理念は、神様の血統を受け継いで生まれた息子、娘として、千年、万年、永遠のその父母に侍り、「永遠に私の息子、私の娘だ」と称賛できる息子の資格、娘の資格を備えることです。その立場を通過してこそ、神様の心の中に残っている堕落による傷を解くことができます。
24 キリスト教では、「おお!栄光の神様、私に恵みを下さい」と言いますが、神様はそのような神様ではありません。悲惨な神様です。拘束の中にいる神様です。息子、娘をよく生んで解放されなければならない神様なので、神様の運命は悲しく痛ましい運命です。ですから皆さんは、その神様を解放してさしあげなければなりません。そうでなければ、天道が是正されないので、この地上に理想世界がやって来ることができないというのです。これを正すための歴史が、統一教会の歴史であり、使命です。
25 神様は、復帰の神様です。神様は、本来の神様ではありません。恨の宿る神様、かわいそうな神様です。喜びの神様ではありません。落胆の神様です。ですから、本来の状態に戻すためには、落胆の神様を解放してさしあげなければなりません。それは、お金や権力でもできません。どんな人にも不可能です。真の愛だけが可能なのです。
26 統一教会の皆さんは、神様の解放軍です。世界の解放ではありません。世界の解放は容易です。人間が団結すれば世界の解放はできますが、神様の解放は心情圏を団結させなければなりません。愛の圏を団結させることのできる原理と思想体系をもたなければなりません。ですから、霊界にある絡み合つたものを解き、地上に心情圏の橋を架けなければなりません。どのような革命よりも恐ろしい革命であり、困難な革命です。人類の解放は容易ですが、神様の解放はそのために困難だというのです。世界にまたとない困難なその仕事を、先生が旗手となって、今日、摂理史の総決算という論理を通して答えを下すことができたというのは、驚くべきことです。