天聖経: 第44 話

第二篇 真の父母

第三章 真の父母と重生

第二節 重生と血統転換 9-20

イエス様と聖霊を中心とする重生の役事

9 本来は、天を夫とし、地を妻として、この夫婦が平面上で向かい合って話し合うべきでしたが、堕落することによって、天と地が分かれたのです。サタンが占領している天と地の境界線を崩すために、神様は、今までキリスト教を発展させてきました。キリスト教で、聖霊を受けられなければ救援を受けられないと言いますが、その聖霊は、正に母の神を意味します。堕落は母が先にしたので、すなわち母が罪を蒔いたので、母が収拾しなければなりません。

それで、聖霊となった母がこの地に来て、出産の苦労をしなければなりません。人間の先祖の堕落によって誤った子女たちがこの地に生まれたので、真の霊的な父と、真の霊的な母が、互いに愛の心情で出会わなければなりません。そして、怨讐の障壁をかき分けてサタンの権限を取り除き、愛のエキスを受けることができる境地に入ってこそ、すべての人間は霊的に重生するようになるのです。父と母の愛なくしては新しい生命が生まれる方法がありません。キリスト教の復活と重生は、正に霊的な父母によって生まれ変わることを意味します。

10 イエス様は、誰であり、なぜ来られたのでしょうか。人類の真の父母にして、真の父の使命者として来られた方です。アダムが堕落していなければ、神様の祝福を受けて、人類の真の父になっていたはずであり、エバは真の母になっていたはずです。ところが、堕落することによってその祝福を失ってしまったので、それを復帰するために神様は、四千年の長い歴史を通して準備した基盤の上に、イエス様を真の父の使命者として送られたのです。

イエス様は、このような摂理的な歴史を相続し、アダムの位置でサタンの讒訴を受けたエバの立場にいる人を屈服させ、その社会のすべての条件を取り戻し、エバの前に立っているすべてのサタンを屈服させてこそ、復帰することができます。ですから、イエス様が来られて主張するのは、「私は新郎であり、あなたがたは新婦である」ということです。イエス様は、この世界からエバを探し出す活動をしたのです。

11 堕落した子孫である人間は、母のおなかの中を通して生まれるため、母の愛に抱かれて入っていかなければなりません。これが聖霊の愛です。聖霊は母の神なので、愛という感情をもって、父であるイエス様を探し立てて包み込んであげなければなりません。その愛によって、母の神が父を霊的に慕うようになるのです。このように慕うその愛の力が作用して、ぶつかる力を感じることが、正に火を受けることなのです。これを体験してこそ、新しい生命が生まれます。言い換えれば、母のおなかの中を通して、父母を中心とする愛の感覚を感じなければならないのです。その愛の感覚を感じなければ、新しい生命として生まれることができません。愛がなければ、新しい生命が生まれることはできないのです。これが、キリスト教で言う重生です。

12 来られる主は父なので、その父の骨髄の中に入っていかなければなりません。堕落した人間は、本来、父の中に入ったという条件を立てなければ生まれ変わることができないので、イエス様を新郎として侍る聖霊の恵沢を受け、男性であるイエス様の骨髄の中に入っていくようにしてきました。しかし、実体で、イエス様の骨髄の中に入っていくことはできません。それで、愛する心に入っていかなければなりません。愛する心であれば、通じることができるのです。キリスト教徒たちがイエス様を信じる理由は、母の神である聖霊の協助を受けて、イエス様の骨髄の中に入っていくためです。イエス様は結婚をしなかったので、独身の神と同じです。そのようなイエス様の骨髄の中にある赤ん坊の種の立場に入っていくために、キリスト教徒たちは今までイエス様を信じているのです。このようにイエス様の骨髄の中に入っていったのち、復帰された新しい母を通して生まれ変わったという立場に立ってこそ、重生されるのです。

13 キリスト教では、本然を基準として、イエス様の骨髄から生まれた息子、娘の位置に立たなければならないと言います。アダムが堕落する前に、息子、娘の種をもっていたのと同じ位置に立たなければならないというのです。ですから、キリスト教徒たちは、イエス様を中心として父の骨髄から生まれた息子、娘の位置に立たなければなりません。そのためには、「あなたと私が一つになった」という愛の一体の立場を中心としてイエス様と一つになり、聖霊である母を通して生まれなければなりません。生まれ変わらなければならないのです。父だけで重生するのですか。母だけで重生するのですか。父と母の結実体を形成し、神様の創造理想のみ旨である家庭完成、愛の理想家庭を成就できなかったので、これを救援するためには、再び来て新郎の位置で新婦を迎え、神様の愛と一体化しなければなりません。このようにして、堕落することなく完成するエデンの園のアダムの位置が、愛によって一体化して結ばれる日には、いかなるものも堕落させることができないのです。人間は、その日を願っています。

14 イエス様を信じるということは、どういうことでしょうか。イエス様は、男性として、堕落していない本来のアダムです。結局、肉的でありながらも霊的な父です。したがって、この父と一つにならなければ、生まれ変わる道が全くありません。ですから、キリスト教は、人間をしてイエス様の骨髄にまで入っていったという、イエス様を慕い焦がれ、イエス様の愛情に触れることを体恤させるただ一つの教えです。イエス様を、新郎として慕わしく思って迎えなさいという教えです。新郎として迎えなさいという教えは、二重の効果を得ようとするものです。一つは、その骨肉に入っていく赤ん坊の種になろうとすることであり、もう一つは、母のおなかを通過したという条件を得ようとすることですが、これが正に新婦の立場です。

15 本来、人が生まれるとき、霊人体と肉身が分かれて生まれるようになっていません。イエス様が死ぬことによって、霊的重生はできても肉的重生ができなかった立場にいるので、イエス様は再び来ざるを得ません。ですから、イエス様を信じる人々は、すべて世の中を捨て、霊界に行ったイエス様が再臨する、真の父母が来る時に、その真の父母のおなかの中を経て生まれ変わったという条件を立てなければ、生きる道がありません。

言い換えれば、皆さんは、堕落していない、母を迎える前の真の父の骨髄の中に、娘や息子の赤ん坊の種として入っていてこそ、母を通じて出てくることができるのです。そのため、「主よ!主よ!」と言って、すべて主の体の中に入っていこうとするのです。それを霊的にしているのです。イエス様が再臨する時に、霊的に入っていったものが、イエス様の肉身を通して一つになり、母を通じて出てくることができます。それが完全復帰の道です。サタンの血統を完全に取り除いて、初めて復帰されたという立場に立つのです。

16 キリスト教は、霊的な父母を中心とする霊的世界、霊的天国を見つめてきた宗教です。本来の天国は、アダムとエバがこの地で失ってしまったこの世界の向きを再び変え、霊的に勝利した基準を、縦的にではなく平面的に立てなければなりません。真の母と真の父が平面的に愛を授け受けできる地上世界が形成されなければ、根本的に誤ったこのすべてのものを復帰することができません。したがって、再び来られる主は、肉身をもってこの地上に来られなければならないのです。

真の父母と重生の道

17 神様は、愛のために人を造ったので、アダムとエバの主人にならなければならず、その次に、愛を中心として愛の主人にならなければならず、生命を中心として生命の主人にならなければならず、血統を中心として血統の主人にならなければなりませんでした。そのような神様が、愛も、生命も、血統も奪われてしまいました。救援とは、病気になった人を、病気になる前の状態に回復させることです。再臨主がすべきことは何かと言えば、血統を転換させることです。神様とアダムとエバが、一つの体になるのです。ここで、縦的な神様と人間の縦的関係がしっかりと結ばれれば、横的関係においてアダムとエバは東西なのですが、この東西も、堕落していない真の愛の原則的な基準に行くようになるとき、直短距離になるのです。縦横が直短距離で出会うのが、九〇度の角度です。縦の神様を中心として、横の人類先祖が九〇度で一致し、前後を中心として理想的な愛の球形体を形成できなかったことが堕落です。

18 神様は、血統転換ができません。それができる方は、真の父母以外にはいません。神様は、偽りの父母の友達になることができません。縦的な父母であって、横的な位置に立つことができないのです。横的なところで過ちを犯したので、横的な位置で復帰しなければなりません。牛の皮なら牛の皮を当てなければならないのであって、他の皮ではいけません。偽りの父母から穴が開いたので、真の父母で補わなければなりません。真の父母を苦労させなければ、補うことができません。それは、神様にもできないのです。神様にできるのであれば、既にしています。

19 真の父母が必要なのは、サタンの愛、生命、血統の基盤を清算するためです。なぜ男性と女性が、悲惨な位置に落ちたのですか。それは生殖器のためです。本来、生殖器は愛の王宮です。その愛の王宮が、今、どのようになっていますか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮であるという、そのように貴いものが人間の生殖器です。それが堕落によって汚れたものになってしまいました。本然の神様の観点から見れば、それは汚れたものではなく、神聖なものです。最も貴いものです。生命、愛、そして血統がここに連結されています。そのように神聖なものをサタンが汚しました。

20 私たちに必要なのは真の父母です。偽りの父母から出発したので、真の父母から出発しなければなりません。偽りの父母から、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受けました。これをひっくり返さなければなりません。真の父母の愛を中心として、真の生命と真の血統を受け継がなければなりません。言い換えれば、生命の種を誤って受けたので、この本然の種を再び受けなければならないのです。真の父母がいなければ受けることができないので、この地上にメシヤが来られ、そのメシヤの種、真の父母の新しい生命の種をもってきて再度注入し、接ぎ木することを通して、本然の真のオリーブの木の位置に帰らなければなりません。神様は本当に私たちの父母です。ですから、どれほど近いですか。縦的な父母が神様であり、真の父母は横的な父母として理想の愛を成就するのです。

Luke Higuchi