天聖経: 第312話
日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー
第十篇 平和思想
第三章 世界平和の実現方案
第二節 理想家庭による世界平和 2-9
第三節 文化と世界平和 1-4
2 世界統一は簡単です。統一教会では交叉結婚を語ります。怨讐と怨讐が姻戚になる道があるとすれば、天下はあっという間に平和の世界になっていきます。先生は、日本の人と韓国の人を交叉結婚させました。そこにありとあらゆる人々がいましたが、交叉結婚をしたのです。怨讐を天国に連れていくことができてこそ、イエス様も天国を迎えることができます。怨讐になった人々は、怨讐を自分の息子、娘よりも、父母よりもっと愛することができる世界を求めていってこそ、神様が平和の王の地を備え、王宮で暮らせる同族を率いることができます。怨讐関係である日本の人と韓国の人は結婚できないのに、統一教会はそれを克服したのです。
3 平和世界を成し遂げるのに、国際結婚以上の直短距離(最も近い距離)はありません、国境ですべて怨讐になっています。最も近くにいる人が怨讐になるのであって、遠くにいる人は怨讐にはなりません。ですから、平和の世界が早くできるようにするために、国境を越えて怨讐国家の人たち同士を結婚させるのです。そうなれば、半分は平和世界に入るのです。
4 世界平和の先頭に立たなければならないのが、宗教圏の任務です。絶対的に神様が要求する任務です。それに反対する人は、この場にいないでしょう。平和に向かう一番の短距離、近道は何でしょうか。それは、宗派を超えて青年たちを結婚させることです。紛争する宗派同士で結婚した場合には、紛争が半分は減ります。それを二回だけすれば、平定されてしまいます。統一教会の青年たちを中心として、各宗教の青年たちと交叉結婚をさせようというのです。世界の宗派が交叉結婚をするようになれば、怨讐の国が一つになるのと同様に、怨讐の宗教が一つになります。それが世界平和を成し遂げる直短距離です。それをしなければ、神様が宗教を立てた意味がないのです。
5 今、世界宗教大会において、異なる宗教の信徒同士が「結婚しよう」と言っています。十三教団の代表たちが集まって、これから世界平和に向かう直短距離は、この道しかないという結論を下したのです。宗教が先頭に立たなければならないのです。心が平和を主導しなければなりません。心の立場にあるのが宗教だからです。一つになるには、結婚以上に早い道はありません。国境を中心として、すべて怨讐になっているのです。
6 今後、平和の世界をどのように成し遂げるのでしょうか。骨子は簡単です。怨讐同士の息子、娘を結婚させて、自分よりも幸せに暮らすことを祈る、その国から平和の世界は出発します。それをしなければ、永遠に平和の世界になれません。国境を中心として、いかなる国でも怨讐になっているのです。
7 結婚も国境を越えてするようになると、自然に国境が消滅します。イギリス人とフランス人が結婚すれば、国境は自然になくなります。自分たちも知らず知らずに移り変わっているという事実を知らなければなりません。そのようになると、フランスにお嫁に行ったからといってフランス人でもなく、またイギリスの夫を得たからといってイギリス人でもありません。これが問題です。どこの人かと言えば、間違いなく統一教会の人です。その統一教会の人とは何でしょうか。今後、理想としていた平和世界、あるいは自由世界が成就されれば、それを基地にして性相世界(神様を中心とする不変の世界)を出発させる群れなのです。
8 人類の先祖が結婚を間違うことで国境線が生じたので、祝福を受けて国境線を撤廃しなければなりません。カイン・アベルの二つの国が怨讐です。それを結婚が分けたので、交叉結婚をしなければ統一世界になりません。国境で分かれていたものが、交叉することによって入れ替わるのです。兄が弟になり、弟が兄になります。交叉結婚をしないところには、平和の出発がありません。それで、神様が怨讐を愛しなさいといったのです。
9 統一教会には国境がありません。文化背景の壁がありません。そのようなものをみな切ってしまうのです。白人と黒人がたくさん結婚しました。今回、数百人の日本人がアフリカの人たちと結婚したのです。この数が百万を超え、千万を超えて国まで超えるようになると、世界は平和の世界に向かうのです。そうして、一つの血統になるのです。一つの家で、十二カ国の人々が互いに一つになればどうなるでしょうか。一つになってみなさいというのです。「平和世界になってはいけない」と言っても平和世界になるのです。どれほど素晴らしいでしょうか。その時は、先生が平和の王になります。ですから、メシヤであり、真の父母だというのです。
第三節 文化と世界平和
1 人間が堕落しなかったとすれば、理想的な春の園を迎えていたでしょう。その理想的な春の園で、神様が喜ぶことができる人々として成長したでしょう。そのように育った人類は、この地上に新しい文化世界を創造し、その中で、平和で幸福に暮らしていたのです。万物が春夏秋冬の季節に従って順行するのと同様に、人類歴史もやはり、春の季節、夏の季節、秋の季節、冬の季節のような過程を経ながら、永続する世界にならなければならないにもかかわらず、人類が堕落することによって、私たち人間の世の中においては、人間が喜ぶ蘇生の時、栄光の一日を迎えることのできる喜びの出発を見ることができなかったのです。
2 神様の人間を通しての目的が一つの創造世界なので、そのような世界を人間も追求しなければならず、神様も成し遂げなければならないというのは、双方的な立場から見るとき、当然の結論です。
今日、歴史を通して一つの文化世界、一つの主権世界、一つの平和世界、一つの統一世界を指向しなければならないというのは、人類あるいは個々人の生活的な面において必要要件なのです。
3 世界文化体育大典は、人類の精神文化を収拾して人間の幸福のための真の価値を求め、神様と人間と万物が調和した平和な新しい文化世界を指向する、歴史的な行事です。全世界の学者、宗教者、言論人、政治家、青年の代表たちが地球村家族の一員として一堂に会し、人類和合の知恵と経験と実践を結集する祝典なのです。
4 美しさを追求し、それを表現しようとするのは人間の本性です。神様の創造理想に似た人間の内面世界は、情、知、意の三機能を発揮し、人間の肉身はその心の命令に感応して行動します。その結果、人間はいつも愛と真理と美しさを追求しており、それぞれ宗教と科学と芸術が、その表現の手段です。結局、宇宙万象は、創造主である神様の内的性相が多様な実体として現れた外的形状なのです。