天聖経: 第258話

日本語のオーディオはしばらくの間、お休みさせて頂きます。皆さんご迷惑をお掛け致しますが、各自訓読なさるか、もしくは、英語版を聴きながらの訓読の程、よろしくお願い致します。ーゴデイブルチームー

第九篇 家庭教会と氏族的メシヤ

第一章 家庭教会

第一節 家庭教会の摂理的意義 1-9

1 家庭教会とは本来、エデンの園で堕落せず、神様を中心としてアダム家庭が完全に愛し合って一つになったことを意味します。そのように家庭教会が始まり、家庭氏族教会、家庭国家教会に発展し、世界形態の家庭理想を備えた一つの世界になるのです。これが原理で教える思想です。

統一教会が家庭教会を主張でき、立てることができるという事実は、神様にとっても、人類全体にとっても重要なことです。本来、アダムとエバが堕落していなければ、神様を中心として一生の間、愛の中で息子、娘を生んで暮らし、地上生活が終わって霊界に入っていけば、次はその子孫が続いて入っていき、またその子孫が続いて入っていけば、その血統的子孫がアダムとエバを中心としてすべて天国に行くようになっているのです。

 

家庭教会とは

2 今まで皆さんは、「家庭教会は統一教会の制度だ」と考えていましたが、そうではありません。統一教会の家庭教会は、私の天国です。私の天国であり私のものです。イエス様がペテロに天国の鍵を授けて、その後どこに行ったかというと、十字架に向かったのです。その天国の鍵が家庭教会運動です。

言い換えれば、支派編成をしなければならないということです。支派編成のモデルを代表してつくることが、私たちの使命です。それでイエス様は、「あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう」(マタイ一八・一八)と言われたのです。それを解くことができず、それをつくることができなければ、天国に行けないのです。

 

3 先生は、統一教会の教会員に天国の鍵をあげるのです。先生は、死ぬために十字架に行くのでしょうか。死ぬために行くのではありません。希望をもって、より高い所に行くのです。イエス様は、行って帰ってくることができず、何千年の間、来ませんでしたが、先生は、行けばいつでも来ることができ、思いのままに行ったり来たりできるのです。

帰ってきてからは、統一教会を訪ねていくのではなく、家庭教会を訪ねていかなければなりません。先生が訪ねるべき所は家庭教会ですが、家庭教会は神様が臨在できる所であり、父母様が臨在できる所であり、息子、娘が暮らせる所、一族が暮らせる所です。家庭教会は、家庭のための社会的事務所です。

 

4 エデンの園で堕落することによってカインとアベルの争いが起こったのですが、カインは兄として生まれ、アベルは弟として生まれました。これが恨です。これをひっくり返さなければなりません。そのようにしなければ、父母を探し出す道がありません。このような曲折の歴史を歩んできた神様の摂理の中で、統一教会が出てきて主張するのが家庭教会です。

エデンの園とは何かというと、家庭教会です。そこではカインとアベル、兄と弟の争いがありません。そして、父母と一つになり、神様と天使長が一つになり、すべてのものが一つになって統一されるのです。このような環境のために、統一教会の先生が出てきて、天使世界と天の境界線を片づけ、人間世界と天使世界の境界線を片づけ、カインとアベルの怨讐間の壁を崩して立て直すのがみ旨です。歴史時代の摂理を中心として、あらゆる国境や社会制度を捨てて家庭教会の中で一つになれば、すべて復帰するのです。

 

5 神様に記憶される日があるとすれば、その日は愛の理想世界に同参(一緒に参加すること)できる新しい出生とともに、その世界の完成者として神様と永遠に生きることができ、永遠に友になることができ、永遠に愛を受けられる息子、娘になる日です。その日が、神様にとって最高の日として記憶されるのです。

地上で肉身をまとい、天の国まで通過できる愛の関門をつくるために、統一教会は愛の問題を重要視します。家庭問題を重要視するのです。それで、私たちには家庭が必要です。そのような理想を私たちは訪ねていくのですが、それが神様のみ旨の完成であり、人間としての最高の目的地です。ですから、私たちは、その道に向かって行かなければなりません。

そのような時代が来ることを願いながら、神様は男性と女性を、もしくは息子と娘をその場に一度に結びつけるために、宗教を通して今まで摂理してきたのです。その摂理してきたすべてのものを一度にまとめ、理想的家庭基盤を立てるためにつくったのが家庭教会です。

 

6 真の男性と真の女性として登場させ、堕落圏に勝利した立場に立ててあげるためのものが家庭教会運動です。これは歴史時代のいかなる宗教にもなく、今後もない、たった一度しかない出来事です。ですから、家庭教会に反対する人たちに打ち勝たなければなりません。反対していた人々から、「あの人は善の人だ。本当に神の人だ」という証明書を受け取ってから、祝福を受けるべきです。そこで勝利した条件をもって出発し、進めば、天国の門を通過し、神様のみ前にまで行くというのです。

家庭教会がある所が天国です。歴史的責任を中心として、統一教会は勝利の道を築いてきました。現在、荒涼とした砂漠、地獄のような世の中に、このような道が現れたという事実を考えてみるとき、これは何という生命の道、光明の道、希望の道でしょうか。

この中で神様に出会うことができ、この中でメシヤに出会うことができ、この中で真の父母に出会うことができ、この中でカイン・アベルが一つになって出会うことができ、失われたすべての怨讐、失われたすべての氏族、失われた全人類を探し出せるのです。

 

7 父母の代わりに働ける時代に入りました。皆さんが代わりにすべきことは、先生が行った活動を繰り返すことです。しかし、先生が世界的舞台でしたことを、皆さんが全世界を歩き回りながらすることはできないというのです。ですから、制限された一つの祭壇のような所でしなければなりません。世界を歩き回りながら連結させたすべてのものを縮小させた一つの祭壇で、人類を代表して世界全体に拡大されたものを縮小させた祭壇で行わなければなりません。皆さんには、そのように活動した蕩減内容が必要なので、そのためにつくっておいたのが家庭教会です。

 

8 家庭教会は、次子の立場で長子の特権を相続し、還故郷するためにつくるのです。それは、イエス様が失敗したものを取り戻し、復帰できる基盤です。イエス様ができなかったことを成し遂げてさしあげられる皆さんになり、イエス様の息子になれなかったことを越えて息子になれる条件を立ててこそ、神様の息子、娘になることができるのです。

 

9 神様が私たちの町に訪ねてきたとき、父と母をお連れして訓示できる私たちの家にならなければなりません。精誠を尽くして神様に侍るのです。歴史始まって以来、国王に侍るのではなく、天地の大主宰であられるその方に、誰もが夢の中ででも侍りたいと思った願いがあったのですが、私たちの時代において、平面的に、実際に迎えることができるのです。そのような時代圏内にいることに対して感謝の思いをもち、その町を飾り、家を美しく装って神様を迎えようとしなければなりません。

母、父、姉、兄、親戚が、不信の風潮と、このすべての死亡の波をなくし、神様が永遠に共にいらっしゃる「私の町」をつくってみようとしなければなりません。そのような運動が必要なので、今日、家庭教会という課題が統一教会から出てくるようになったのです。今まで宗教は、個人の救いを目標としてきましたが、統一教会の救いは氏族の救いが目標です。一度に氏族が救いを受けようというのです。「死んで天国に行くのではなく、生きて氏族が天国に入れる公義のチケットを受けましょう!」という運動が、家庭教会運動です。

Luke Higuchi