401.韓鶴子総裁御言選集4 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁
第4巻 第1回
第1部 真のお母様はいかなるお方か
真のお母様の生涯 概観1
真のお母様はいかなるお方か
神様は、人間始祖であるアダムとエバが堕落した以後、数多くの中心人物を立てて救いの摂理歴史を展開された。そのような基盤の上に、最終的に独り子イエス様をメシヤとしてこの地に送られたが、イスラエル民族とユダヤ教の不信により十字架にかかって亡くなり、その使命を果たし得ずして、短い生涯を終えられた。そして再び、韓民族の中に人類の救世主、再臨主として真の父母様を送られた。
神様は、独り子である真のお父様を送られ、メシヤ、再臨主としての基盤を築く一方、独り娘である真のお母様を立てて、天の新婦として準備させられた。御夫妻は1960年4月11日、ついに「小羊の婚宴」である聖婚式を挙げることによって真の父母として登場され、真の父母時代を開かれた。
真のお母様の誕生と信仰
真のお母様は1943年陰暦1月6日、実家である平安南道安州郡安州邑信義里26番地において、父・韓承運大父様と母・洪順愛大母様の一人娘として誕生された。
大父様はかつて北朝鮮で私立育英学校、濯纓公立普通学校、萬城公立普通学校で教鞭を執られた。李龍道牧師の新イエス教会に身を置き、初期には中堅幹部として働かれた。
大母様は、平安北道定州の篤実なクリスチャンの家庭に生まれ、19歳まで長老教会で信仰生活をされた。その後、黄國柱伝道師一行と巡回伝道をして、1933年以後、李龍道牧師の新イエス教会、金聖道氏の聖主教、許浩彬氏の腹中教を経ながら、数年間、再臨準備信仰の精髄を伝授された。
趙元模おばあさんと洪順愛大母様、そして真のお母様の3人は、1948年、共産党局の弾圧の情勢のもとで死線を越えて南下された。その後、真のお母様は朝鮮戦争により大邱や済州島、春川などの地で避難生活をしながら、学生時代を送られた。
1955年12月、大母様は青坡洞の前本部教会で真のお父様にお会いして入教された。真のお母様は満13歳の時である1956年3月、春川の鳳儀初等学校卒業直後、前本部教会で大母様の導きで初めて真のお父様に会われた。その後、真のお母様はソウルの聖貞女子中学校を卒業され、1959年4月に聖ヨセフ看護学校に入学された。
五つの側面から見た真のお母様
神様の救いの摂理は、第三次アダムである再臨主と第三次エバである天の新婦を送るための歴史であるという点から、真のお父様と真のお母様の誕生と摂理的準備生活について詳しく知ることは非常に重要なことである。特に真のお父様と共に真の父母の時代を導いて来られた真のお母様がいかなるお方かということを正確に知らなければならない。真のお父様のみ言を要約すると、真のお母様の位相を次のような五つの側面から知ることができる。
第1に、第三次エバとしての真のお母様、第三次アダムの相対的概念である。神様は、アダムとエバが堕落することによって、独り子イエス様を、メシヤ、第二次アダムの使命者としてユダヤ民族の中に送られた。しかし、彼らが不信に陥ることで、イエス様が第二次エバを探し出して新婦として立て聖婚祝福を受け、神様を中心とした真の夫婦、真の父母になり、人類を救う摂理歴史を完遂する計画は水泡に帰した。それで、神様は再臨メシヤ、すなわち第三次アダムとして真のお父様を、第三次エバとして真のお母様を送られたのである。
第2に、聖霊実体としての真のお母様、再臨主の相対的概念である。イエス様は、神様の実体対象として来られたが、イスラエル民族の不信によって十字架にかかって亡くなった後、復活して「霊的な新婦」として聖霊を迎えるようになったのである。真のお父様は、私たちの心に聖霊が臨み、新郎であるイエス様を思慕する力と一つとなる時に「火を受ける」と語られた。イエス様のみ言と聖霊の役事で、キリスト教は世界的に発展してきた。再臨の時、聖霊もまた聖霊実体として現れるが、その方が正に真のお母様である。
第3に、独り娘としての真のお母様である。独り子の相対的概念である。神様は、堕落した人類を救うために独り子であるイエス様をメシヤとしてユダヤ民族の中に送られた。天の初愛を受けてこの地に来られた独り子イエス様は、独り娘である新婦を迎えて、神様の祝福のもとに真の父母となり、真の家庭を築き上げなければならなかった。しかし、イエス様の十字架の苦難により独り娘の位置は空いたままとなった。真のお母様は、イエス様の失敗以後、長い蕩減復帰摂理を通して神様が探し立てられた独り娘としてこの地に来られた。3代にわたる再臨信仰の基台と準備された韓民族の中に独り娘、真のお母様が来られたのである。
第4に、真の父母としての真のお母様である。人類を霊肉共に救うために、真の父母として重生の役事をするのである。再臨のメシヤが聖霊実体である新婦を迎え、真の夫婦となる聖婚儀式が、ヨハネの黙示録第19章の「小羊の婚宴」である。これにより、太初に天地を創造された神様の創造理想が実現し得る関門が開かれ、創造本然のアダムとエバが真の父母として現れる歴史的な日を迎えるようになった。ついに人類が霊肉共に原罪を完全に清算できる重生の恩賜を受けることのできる祝福の門が開かれた。祝福家庭を氏族メシヤと呼び、万人を救いの道へと導かれた。
第5に、根が異なる真のお母様である。「真の父母は、天の真の愛、真の生命、真の血統の根をもってこの地に顕現されます。サタンの偽りの愛を根として生まれた人類を、きれいに根元から切ってしまい、真の愛の芽を接ぎ木する使命を果たすために来られる方が、正に真の父母です」(『真の父母経』1.1.1:13)真のお母様は、堕落人間とは異なる根本の根をもってお生まれになった。原罪がなく、真の愛、真の生命、真の血統をもって来られた方が真のお母様である。
真のお母様は真のお父様に対して、娘の位置から妹、妻、母、祖母、女王の立場まで復帰され、人類の真の母としての使命まで完成された。真の父母様は最終一体を成し遂げられ、万王の王、天地人真の父母としての地位と権限を備えて神様の実体となられ、復帰摂理を完成、完結、完了したことを宣布された。
1. 真のお母様は愛の勝利者
真のお母様に対する感謝
お母様は家庭の母として、教会の母として、天宙の母として、当然真の母として、より一層大きな責任をもつようになられます。そのようなお母様において、他の人に比べてどのような点が特別かと言うと、お母様は生まれながらにして特別に鋭敏な霊的直観力をもっています。また人物や事物に対する洞察力と観察力が正確で、直観力も非常に鋭敏で明晰なので、お母様の心に反映されたことは常に真実であるという点です。
それから、先生に対する絶対的な忠誠心をもっていて、誰が何と言おうとも、何でもしようと深く決意しているということです。それがお母様の信念でもあります。そのような信仰と信念があるので、その苦難の歳月の中でも目的達成のために、尊く実に信じ難いほどの忍耐力をもって勝利してきたのです。
先生は、お母様がみ旨に対して特別な性稟をもっていることに深く感謝しています。それは、お母様が常に私心がなく、自分の子供だけでなく食口の皆さんに対しても何でも与えようとすることです。自分が持っている物の中で何か貴いと思うものがあれば、いつも誰かに与えようと思い、与えることを喜びと思うのです。
世の中の人は、先生の妻は喜びがたくさんあり、宝石や服などをたくさん持っているだろうと思うでしょうが、実際は全くそうではなく、何でも自分が良いと思うものは誰かに与えて喜んでもらおうとします。
気候が突然変わったある日、先生と外出をしないといけないのに、衣装だんすの中に服がさほどなく、その気候に合う適当な服が見当たらない時もありました。もちろんそうでなければ、先生の伝統について行くことはできませんが、お母様は、先生以上に質素な生活をしたと言っても過言ではありません。
お母様は常に先生の心をとても正確に読んで、先生の期待よりはるかに多く理解してくれました。そのようなお母様に対して、先生は次の三つの点で特に感謝しています。
第1に、お母様は霊的に非常に繊細かつ敏感で、すべてを霊的に明確に読めるということです。
第2に、先生に対する絶対的な忠誠と献身です。いかなる方向に先生が導いても、いつも喜んでついて来てくれます。
第3に、自らのすべての所有物は神様と天宙のものであり、万物は天宙と享有されるべきものなので、いかなる貴重なものでも人に与えて、誰かを喜ばせてあげたいという、私心のない無私の生活観を表明しているという点です。「これは私のもので、あれはあなたのものだ」という感覚をもっていません。
また、神様は私の家庭に多くの子を与えて下さいましたが、子供たちは、どの子を見てもきわめて優秀で、すべての面で素晴らしい性稟をもっています。健全で非常に天的な子たちでもあります。先生は、以上のすべてに限りなく感謝しています。
勝利された真のお母様
先生はすでに言及したとおり、国家という限界内の領域を越え、天宙的な段階に入ろうとしています。もし皆さんが自分自身だけを考えているならば、この運動の中で長続きすることはできません。例えば、お母様がもし自己中心的で、自分だけを考える人だったら、今日お母様の位置には立てなかったことでしょう。ですから、私たちの運動の中で、もし自己中心的なリーダーがいるならば、今でも荷物をまとめて出ていかなければなりません。そのような人にとっては、どうせ長く留まることのできない位置です。
先生はリーダーたちをそのような観点で見ています。そのような観点で価値を測るのです。どれだけ無私かというその中心となる基本原理に従って人事をします。
先生は「原理」を教え、「原理」を考え、「原理」を実践しています。きょう皆さんは、私が統一教会の指導者としてどのようにこの道を歩んできたかを知りました。お母様はこの点においてすでに勝利的な女性です。先生もその点において勝利的な先生です。
お母様はただひたすら完成基準に向かって7年間闘ってきました。この7年間という期間は実に様々な非難や中傷、うわさ、誤解が先生一家を取り囲み、渦巻いていました。非難や中傷、迫害のゆえに血を流すような期間でしたが、そのすべてが必要なことでした。
問題は、お母様がこのような試練に耐えながら、非難されてもそれを克服して乗り越えられるかでした。皆さん、当時のお母様の立場が想像できるでしょう。そしてお母様はすべてに勝利されました。
とにかくお母様に対する数々の非難があり、「お母様は責任を果たせなかった。それで先生は新たにお母様を選ぼうと考えておられる」とか、さらにお母様は、誕生日をだまして、二人の誕生日が同じであるかのようにされている」という実にサタンだと思わざるを得ない、ひどいうわさを聞くたびに、お母様の胸は張り裂けそうだったでしょう。
そのような情況のもとで、お母様はひたすら沈黙を守って我慢し、耐えなければなりませんでした。このような事情の中で月日が流れていきました。しかし、どんなことが起こってもお母様は最後まで不屈の信仰で忍耐し、犠牲になりながら、沈黙を守り、先生に対して信仰を継続してこられました。そしてついに非難されてきた事情がすべて逆になり、すべての人がお母様の前に頭を下げて、「この方は本当に天宙の母であられる」と考えるようになり、そのように尊敬して迎えるようになりました。時にはとうてい信じられないことが起きたりもしました。そのような当事者たちはお母様と一体となろうとせず、結局一人ずつ離れていきました。
先生は「原理」をもっているので、このような種類の事情をいかに主管し、指導者としての使命を果たし、最終的勝利を得るべきかをよく知っています。もしも「原理」を知らなかったら、先生は本当にどう処理したらよいか分からず、うろたえていたことでしょう。
結局は愛です。愛が中心であり、すべて愛の問題です。そして、愛の問題がどれほど極端な方向に行くのかを皆さんも知っているでしょう。したがって、このような事情を主管したことが本当にどれほど繊細で難しいことでしょうか。残念なことですが、ある意味では外で起きた多くの迫害よりもはるかに悲惨で激しい闘いであると言えるでしょう。
先生は愛を完成し、復帰するために来ました。そして、それは神様に対する心情復帰でもあります。したがって、先生は愛のために、心情のために蕩減をしなければなりませんでした。愛に勝利し、すべての愛を天のために復帰、完成しなければなりませんでした。それは、そのために負うべき十字架を意味しています。それこそ愛の十字架であり、愛の十字架こそが最も大きなものでした。
そして、このような事情については、決して二人の間で話し合うことができませんでした。「さあ、あなたはそのような試練を理解し、勝利し、不屈の忍耐で勝利しなければなりません。私はこのような計画を成就するために、これこれこのような目的にしたがってそのようにしたから」という説明は一言もしませんでした。
先生がお母様に説明して慰労したら、もしお母様がそれゆえに勝利したとするならば、それは何の価値もありません。お母様自ら意味を悟り、自らの理解に従って忍耐し、勝利しなければなりません。
先生は、今皆さんに話しているこの程度までもお母様に説明したことがありません。そこで見ることのできるものは、実に勝利的な信仰の表明以外のいかなるものでもありません。献身と先生に対する絶対的な信仰です。お母様も、洪順愛おばあさんも、共に勝利したのです。(1977.2.23 ベルべディア修練所)