412.韓鶴子総裁御言選集4 文鮮明先生が見た韓鶴子総裁
第4巻 第2回
第1部 真のお母様はいかなるお方か
2. 真のお母様の誕生の背景
真のお母様の故郷と清州韓氏
韓国は4300年の歴史をもっており、その歴史の中に古朝鮮時代がありました。我が民族は天文を研究して天の運勢を解いた東夷民族です。天文学の博士たちでした。韓国の歴史を見ると、国教がありましたが、新羅時代と高麗時代は仏教であり、朝鮮時代は儒教でした。我が民族の起源をさかのぼると、古朝鮮以前に韓氏が住んでいたという記録があります。(615-173, 2009.08.22)
「訓民正音」とは何でしょうか。正しい音(声)を聞いて学び、教える国民は、千年歴史、万年歴史に、すべてが滅んだとしても残るということです。それが東夷民族であるということを私は知りました。古朝鮮から4000年の歴史を経ていますが、古朝鮮以前に3000年間、韓があったといいます。その韓の朝鮮半島の故郷は清州であると見ています。私は今、東洋史をはじめとして古代韓国の歴史書を編纂し、年代的に関係が途切れている歴史をつなごうと思っています。(613-43, 2009.6.3)
平安道は平たくて安着する道だ、家だ、道だというのです。そこに定州と安州があります。お母様の故郷は安州で、先生の故郷は定州です。(266-272, 1995.1.1)
忠清北道といえば、お母様の故郷として知られています。韓氏の故郷が清州です。お母様はいつも「韓氏の故郷は清州だ」と先生に自慢します。清い「清」の字に「州」の字です。(142-211, 1986.3.11)
私の母の先祖は平安南道に住んでいました。お母様は韓氏です。韓氏の先袓はどこにいるでしょうか。清州です。ですから、私たちの息子、娘がお母様の本家を訪ねていくとすれば、清州の地を訪ねていくようになるのです。(85-91, 1976.3.2)
お母様の母方の祖母が趙氏なのですが、その趙氏が住んでいる所は裕福な村でした。国の官吏を務めた人々が集まって住む瓦屋の村です。そこに趙漢俊というおじいさんがいたのですが、お母様のおばあさんがその直系の子孫です。ですから、そのような伝統を中心としておばあさんと大母様がお母様を本当に愛しました。精誠を尽くしてお母様を育てたのです。大母様が、来られる主を迎えようと全国を歩き回り、まともに家庭生活ができないので、おばあさんがお母様を育ててくれました。そして霊界に関するすべての秘密を誰よりも知るべきだと言ったのがこの一族です。(573-262, 2007.8.24)
定州の撻來江に橋をかけた金持ちが朝鮮時代の趙漢俊です。この方はお母様の母方の先祖です。それで天の天子が趙漢俊を通して生まれるだろうという伝説もありましたが、女の子が生まれました。女の子が生まれると予言して、前方の山に石の弥勒仏が現れました。それは非常に霊験あらたかで、昔、馬に乗ってその峠を越える人たちは馬から降りてお辞儀をしないと馬の脚が地にくっついて動かなかったそうです。(573-261, 2007.8.24)
真の母の母方の祖母である趙元模おばあさんは、趙漢俊の直系の子孫です。趙氏の「趙」は、国の名の「趙」です。ですから、国の母なる方が大母様の母親でした。このように伝統ある歴史がつながっています。これは実話です。定州にある撻來江の橋が、数十年が過ぎても誰も修理せず放置されていたので崩れ始め、人が渡れなくなり、その橋を通過する道がふさがってしまいました。そしてそれを放っておいたので、洪水が起きた時に橋が崩れ、土砂が押し寄せて埋もれてしまいました。そこに予言がありました。撻來江の橋に岩を削って立てたチヤンスン(村の守り神として村の入口に立てる男女一対の像)のような標石が埋まる日には国がなくなり、現れる日には韓国に新天地が開かれるという予言でした。(455-261, 2004.6.26)
3代続く一人娘として誕生された真のお母様
お母様お一人が生まれるためには、3代が一人娘であると同時に、3代が、来られる主のために功を立てた土台がなければなりません。有り難いことに、お母様の歴史が、お母様のおばあさんから洪順愛おばあさん、お母様まで3代が一人娘です。(220-336, 1991.10.20)
お母様が3代続く一人娘として生まれました。お母様の祖母も一人娘、お母様の母親も一人娘、お母様も一人娘です。3代がみな、来られる再臨主を迎えるために役事したのです。3代を経なければなりません。そうでなければ、(真の)母になれません。誰でも(真の)母になれるわけではありません。蕩減復帰法に合わなければなりません。(291-30, 1998.3.5)
お母様の3代が再臨主を迎えるための準備をしました。歴史がそのように上がるのです。プロテスタントからも反対され、カトリックからも反対されました。李龍道牧師を中心として新イエス教会をつくったことで、どれほど迫害を受けたでしょうか。神霊的な役事と韓国の精髄をすべて連結させて、お母様が祝福を受けました。その一族は12人を越えてはいけません。(210-30K 1990.12.25)
誰もが(真の)母になれるというわけではありません。すべての摂理が、エバの歴史を中心とした摂理と連結した因縁を中心として現れるのです。そのような内外のすべてを合わせて、主が来られ、3人の女性の協助を受けて結婚式をするようになるのですが、その時、3人の女性は蘇生・長成・完成を意味します。祖母から母、娘まで3代が一つになったということは、旧約時代・新約時代ている成約時代が連結したということです。それによって父母が定着できる時代に入るのです。お母様が中心です。蘇生が中心ではなぐ長成が中心ではありません。ですから、歴史時代のすべてのものが3段階を経なければなりません。平面的時代のすべてのものは、3番目の段階を完成してこそ完成した段階に立つのです。(212-76, 1991.1.2)
お母様は世界の女性たちの代表です。その人類全体の女性を代表して一人の女性がつながり、お母様まで連結させるのです。ですから、お母様になられる背後は、3代が連結しなければなりません。本来は一人息子、一人娘にならなければなりません。アダムも一人息子であり、イエスも一人息子です。再臨主も、神様のみ旨から見れば一人息子と同じです。一人息子の志を立てていくので、長女、一人娘でなければなりません。それゆえ、復帰摂理において、男性と女性が相対的な立場で一つになってつながり、この世のサタン世界を越えて天の国へと行かなければなりません。(223-241, 1991.11.10)
真のお母様のお名前の意味
お母様の名前は「鶴子」ですが、「鶴子」というのは「鶴の息子」ということです。鶴は、ヒマラヤ山脈を越え、平原に行って卵を産みます。これはエバの使命と同じです。「子」というのは息子のことを意味します。それは結局、女性として息子を慕うことを意味するのです。お母様の使命は、ヒマラヤ山脈を越えて平和の世界で息子、娘を生むことです。そして、鶴は入り混じったものを食べず、きれいなものだけを食べます。栄養があって、あっさりしたものだけを食べるのです。鶴は、一度飛び始めると、なかなか方向を変えません。そして、高く飛びます。それで、東洋では、鶴をとても愛するのです。(246-285, 1993.4.20)
お母様の名前は「鶴子」ですが、なぜ「鶴子」なのでしょうか。「鶴女」でもよいのに、なぜ「鶴子」になったのでしょうか。私は「ああ!『子』の字を付けたのは、神様の息子と因縁を結んであげるためだったのだ。もともとそうなるように生まれついたのでお母様の名前をもったのだ」と思いました。「韓」といえば韓国を代表することもでき、宇宙を代表することもできます。「ハン」とは(韓国語で)一つであり、一番であるという意味です。(120-274, 1982.10.17)
お母様の名前が良いのです。韓^!子!女性が先生の相対になるには学者にならなければなりません。「ハン」は、漢学も「ハン」ですが、恨めしい学問の恨です。誰よりも神様について最高に勉強した学者にならなければなりません。女性がそうなれば、間違いなく神様の相対の位置に立つと思ったのです。それで苗字も良ぐ名前も良いのです。今、結局はその位置に立ったのです。(232-307, 1992.7.10)
3. 再臨を準備する信仰の主流を継承
新しい天の摂理を準備した神霊教団
神様は今まで韓国の地でキリスト教を中心として神霊的な役事をしてきました。(韓国が)解放を迎える前の1930年代と1940年代に、神様はこれを準備させてきました。神様のみ旨に従うべきキリスト教は、そのような立場で神様の内的な事情に従い、内的なみ旨を立てなければなりません。神様は数多くの家庭を通し、あるいは数多くの開拓者を通して、このような役事をしてきました。鐵山、平壌、元山といったすベての運動は、その時代的環境を対峙させるためのものでした。キリスト教が従わなければいけないので、それを一歩前進した環境で神様は準備させてきたのです。(28-58, 1970.1.3)
神霊的な役事をした人の中に、鐵山に住む金聖道という人がいました。また、咸興には白南柱という人がいました。白南柱氏は、総督府から聖主教の認可を得る役割をした人です。霊界からすべて教えられてしたのです。裸足で鐵山に行けという霊界の指示を受けた白南柱氏は鐵山に行きました。咸興から平壌までは600里から700里(およそ240〜280キロメートル)になるでしょう。裸足で鐵山に行って金聖道氏に会いました。このようにして東と西が出会ったのです。出会って、来られる主がこの地に来られた時、受難に遭うことのないように準備したのです。そのようにして「望」の字と「主」の字を入れた「聖主教」がつくられたのです。しかし、金聖道氏が主張することとその他の人が主張することが相反して現れます。金聖道氏は「天が私を中心としてエバの使命を教えてくれたので、主が来られれば、私が侍らなければならない」と言ったのです。(223-211, 1991.11.10)
金聖道氏の家系が責任を果たせなかったために、その使命は、金聖道氏に誠を尽くして侍った許浩彬という婦人に引き継がれました。その婦人は、すベてにおいて主を中心とした生活をしてきました。天はその婦人に、まず初めに罪を脱ぐ方法を教えてくれ、その次には生活の仕方を教えてくれ、またその次には主が来られた後の子供の育て方を教えてくれました。その許氏婦人は、主に仕えて暮らす法度と全体的な規例を立てて準備しました。許氏婦人は、解放前からそのような準備をしなければなりませんでした。7年前からそのような準備をしてこなければならないのが原則です。そうなっていれば、韓国の解放を中心として再臨理念が出発するようになっていました。そうしてそれを引き継いで、新しい役事をしていかなければなりません。その時は一段階下がります。自分が主であるというのではなく、主を生むということです。腹中を通して主が生まれるというのです。それは復帰であるためにそうなのです。それがマリヤの使命です。(8-223, 1960.1.6)
神霊教団の精誠基盤を継承した真のお母様
大母様を中心として3代が天を信じてメシヤに仕えるために出動した家庭が、真のお母様の家庭でした。家族が多くありませんでした。ですから、美しく育ちました。大きなみ旨と大きな抱負をもって天が育てたのです。良い環境ではありません。孤独な環境で生まれ、孤独に暮らしました。大母様は再臨主を探し求めて、全国を歩き回りました。大母様は再臨主に会うために苦労しました。(585-184, 2008.01.30)
大母様は一生涯、ひたすら一つに向かって信仰生活をしてこられた方です。その中でも特別に私たちが記憶すべきことは、新しい摂理歴史において、再臨主が人として来るということを宣布し、新しい教団が準備されたすベての歴史に初めから参与してきたということです。聖主教を中心として母の系統をつないだ第1代の先祖が金聖道氏です。またそこから分かれたのが腹中教の許浩彬氏です。その系統で信仰の主流的歴史の伝統を受け継ぎ、来られる再臨主をお迎えするための先発走者として走ってこられた方が大母様です。真のお母様を生んで、3代のエバ的な歴史を経ましたが、お母様の時代になって実を結び得るみ旨をひそかに知り、準備してきたおばあさんなのです。それまでのその苦労というのは到底言葉にすることができません。周辺にいる兄弟や親戚、同志、みなが理解できないこの道を一人で歩み、生食をしながら、ありとあらゆる歴史をすべて通過してきました。最後まで自らの中心思想を曲げることなく歩んでくることによって、真のお母様が真のお父様と出会うことのできる基台を造成したのです。(265-9, 1994.11.7)
腹中教は、主が人として来て、お母様を選定し、12使徒を立てるという信仰をもっており、その主に侍る訓練をさせました。真のお母様はその特定の集団を通して訓練を受けました。その腹中教の教祖の母親が真のお母様を呼んで祝福をしてくれました。あとで振り返ってみると、すべて祝福を受けていたのです。そこに男性がいてはいけません。できるなら独り娘でなければなりません。(191-254, 1989.6.25)
来られる再臨主を歓迎するために準備した代表者が李龍道牧師です。李龍道牧師が既成教会から追い出されて、新イエス教会をつくり、鐵山の金聖道とつながったのです。白甫柱を通して、東と西がつながったのです。それで、大母様の家庭を中心として、一つは新イエス教会に通い、一つは女性を中心とした腹中教に通ったのです。腹中教で主を迎えるために先導的な代表として、家を出て活動した人が大母様です。新イエス教会から祝福を受け、腹中教からも祝福を受けました。真のお母様の家門を見るとそうだったのです。(403-239, 2003.1.23)
真のお母様の母親は、主に仕えるために精誠を尽くすことにおいては、韓国の代表です。主が人として来るといって、腹中教から仕えて来ました。真のお母様は、そのようなすべてのエバ的責任を果たした、韓国の歴史を代表するおばあさんたちから祝福をすべて受けたのです。(184-294, 1989.1.1)
洪順愛おばあさんは、再臨主を迎えられる神霊教団の重要な幹部として教育を受けてきました。ですから、南の韓国に下りる時に、真のお母様が許浩彬氏の母親から「天の新婦となるだろう」という祝福を受けて来たのです。
北朝鮮の西海岸地方に、金聖道氏の聖主教がありました。金聖道氏が亡くなってからは、許浩彬氏が引き継ぐようになりました。大母様はその許氏に誠実に従った人でした。大母様は、真のお母様が4歳の時にその集団に連れていったのですが、許氏の母親が6歳になる真のお母様を祝福しました。それは、真のお母様に使命が継承されるということでした。お母様に会った時、お父様はそのような事実を知りました。神様によって準備されたすべてが1960年に成就しました。そのようにして今の真の父母が現れるようになったのです。(52-186, 1971.12.29)