314.韓鶴子総裁御言選集3 天一国と私たちの使命
第3巻 第14回
第1部 平和世界に向かう道
20. 世界と南北の統一は真の愛で
*このみ言は、2000年2月10日に「2000世界文化体育大典」開幕式で文鮮明総裁が語られたもので、その後、韓鶴子総裁が3月9日に日本名古屋の愛知県体育館で開催された「東西南北統一前進大会」で宣布なさった。
世界と南北の統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。今、正に始まった新千年紀は、分裂と葛藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現される時です。皆様の各家庭に、新千年紀の祝福が共にあることをお祈りいたします。
初めに、私の夫である文鮮明総裁の80歳の誕生日を祝賀してくださるために、各地からお越しくださった皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで見守ってくださり、共にあってくださった神様に、このすベての栄光をお返しいたします。文総裁の過去の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期はありませんでした。韓半島を取り巻く列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史と共に歩んできました。文総裁は、16歳(数え)の少年時代に、祈祷をしている最中、突如として天のみ旨に接し、それから生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全霊を尽くしてきました。その中で、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落することによって霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果だったということを知りました。それによって私たち人間は、神様と人生、そして宇宙の根本問題などについて無知に陥ってしまったのです。
これまで文総裁は、世界各地の公式の場で、1万回以上にわたり、み言を通して「神主義」に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは、世界12ヵ国の言語に翻訳され、既に300巻以上の書籍として出版されています。これは、文献による研究や、学問的な探求の結果として解明されたものではなく有形と無形の世界を自由に行き来しながら、原論的で根本的な答えを説き明かしてきたものです。きょう私は、この意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「世界と南北の統一は真の愛で」という題目で、お話ししようと思います。
人類歴史は蕩減復帰摂理歴史
我が国の統一は、単に国土の統一だけでなく、これは、堕落によって分かれた人間の心と体の統一問題から始まり、東西の二大世界に分かれた全世界の統一のためのモデル的路程です。したがって、この問題は、神様の救援摂理観的な側面から理解しなければならない事案であり、したがって、摂理的な次元で解いていかなければならないのです。人類歴史は、人間始祖が堕落によって失ってしまった本然の世界を、再び取り戻すための蕩減復帰の摂理歴史です。ですから、歴史は、神様の創造理想の実現を目標とした、サタン側と天側との間で起こる善悪闘争の歴史なのです。
歴史の背後ではいつも、善の側には善霊が協助し、悪の側には悪霊が協助してきました。人間の堕落によって始まった分裂の歴史は、家庭、氏族、民族、国家、世界へと範囲を拡大しながら、結果的に人本主義と神本主義の根幹となった、無神論と有神論の対決として現れたのです。
2000年前、ユダヤ民族がイエス様を受け入れていれば、イエス様はユダヤ教を基盤としてユダヤの氏族と民族を統一し、12支派の子孫たちが住んでいたアラブ圏を統一していたでしょう。さらに、イエス様の思想が中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播され、一方では、ローマ帝国と全ヨーロッパを掌握し、イエス様の時代に統一された一つの世界が成し遂げられていたでしょう。最終的には、イエス様を中心として一つの新しい宗教文化圏を形成し、万王の王にならなければならなかったのです。しかし、イエス様が十字架にかけられたのち、外的な肉身を中心とした文化圏である人本主義のヘレニズムが先に発達し、ローマの中心文化を形成しました。一方、内的な心の文化圏である神本主義のヘブライズムを代表するキリスト教は、400年の間、ローマからあらゆる迫害を受けたのです。
人間始祖の堕落によって分かれた善と悪の闘争歴史の背後で、サタンは今、何を狙っているのでしょうか。神様をはっきりと狙っています。永遠、不変、絶対、唯一であられる神様が、太初に理想とされた基準も、永遠、不変、絶対、唯一でなければなりません。サタンは、そのような神様の絶対的なみ旨を破壊しようとするのです。神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められるでしょう。サタンが神様に、「神様!最初に、私を天使長として立てられたときには、一時的な愛で立てられましたか。それとも、永遠の愛のために立てられましたか」と質問するならば、神様はどのように答えられるでしょうか。神様は、「永遠に愛するために立てた」と語られるでしょう。一時的な愛で立てたとするならば、一時的な愛の神様となります。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかは、サタンの前に神様の権限を行使できなくなるのです。ですから、神様は、サタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないというのです。
サタンを自然屈伏させるための神様の戦法
それで、神様は悪に対しては「無抵抗主義者」なのです。それはどうしてでしょうか。神様は、この地球上に天国理想の世界を成就する時まで、いかなる環境の中でも、堕落してサタンになった天使長を愛さなければなりません。
神様は、サタンがいくら暴れ回ったとしても、罰したり、打ったりすることができないのです。いかなる状況でも愛したという条件と基準を立て、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられます。降服します」と告白しない限りは、神様は、完全な勝利を果たすことができません。それが問題なのです。神様がそのようにサタンを愛することによって屈服させることが、復帰原理的な道であるならば、神様の子女である私たちも、その道を歩まなければなりません。世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立っても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。このような側面から、悪を自然屈伏させようとする神様の戦法は、「怨讐を愛せよ!」というものでした。言葉は簡単ですが、今までこれが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたことを誰も知りませんでした。
神様がサタンを敵や怨讐とみなし、彼に対して復讐しようという思想をもったとすれば、絶対に勝利の絶頂を占有することはできません。反対に神様は、「怨讐を愛せよ!」と言って、愛の作戦を展開してきました。神様のひとり子であるイエス様は、サタンが役事(働き)して自分の命を奪おうとする怨讐に対して、「彼らを赦し給え」と祈ったことは偉大なことです。もしイエス様が十字架で死んでいかれながら、怨讐に対して敵愾心を抱いたならば、摂理は逆転していたでしょう。福を祈る、愛する心をもって死を克服したので、サタンが自然屈伏したのです。
永遠に、神様の子女として残ることができる資格が、そこで生じたのです。サタンもこれを是認し、「あなたは、本当に神様の息子である」とサインするのです。ですから皆様も、神様のみ前で、「サタンよ、私は神様の息子であることに間違いないだろう」と問えば、「はい、間違いありません」と答え、それだけではなく、「神様の息子として相対圏を拡大していくであろう。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界圏に拡大するのに異議はないだろう」と言えば、「はい、それは原理と原則なので、仕方がありません」と答えるように行動しなければならないのです。
神様は、このような条件に従って、キリスト教文化圏を中心として摂理を推進してきました。犠牲の道、殉教の場、血まみれの境地においても、神様を愛し、怨讐までも愛する運動を展開してきたのです。私たちは、家庭、社会、国家、世界においても、この運動を展開しなければなりません。キリスト教の愛の精神によって、激しく迫害を加えてきたローマ帝国が屈服しました。キリスト教は、そのようにして世界的な宗教になりました。これまで、クリスチャンは、個人的な怨讐だけを考えてきたのですが、そうではありません。怨讐国家や、さらには怨讐世界も愛さなければなりません。
怨讐国家の中心に天国の出発点があるので、そこに真の愛の伝統基盤をつくって出発しなければ、地上天国は成し遂げられません。このようにして、伝統が立てられれば、これ以上の思想、これ以上の消化すべき主義は生じません。韓国が日本帝国主義治下にあったとき、韓国を含めた日本、ドイツ、アメリカの主要摂理4大国家は、互いが怨讐の関係でした。その当時の状況では、日本と韓国が怨讐同士であり、日本とアメリカが怨讐同士であり、アメリカとドイツが怨讐同士だったのです。
文総裁は、このような怨讐関係にあった日本人とドイツ人をアメリカに連れていき、「アメリカが神様を無視して失ってしまえば、滅びて死んでしまうので、アメリカを活かさなければならない」と言って、真の愛の道理を実践しました。日本人やドイツ人に、「敵対関係のアメリカを、自分の祖国を愛する以上に愛する伝統を立てなければ、天の願う新しい世界理念を立てることができない」と強調し、真の愛の伝統を教えたのです。怨讐の関係である国家を、自分の祖国以上に愛する基盤と伝統を築かない限り、この地上に天国は顕現できません。このような歴史的伝統の樹立は、神様の真の愛の中でのみ可能なのです。
文総裁は、アメリカ連邦政府から屈辱を受けながら、罪なく法廷に立ったとき、アメリカの未来を心配しながら保守紙「ワシントン・タイムズ」を発行したり、放送局を設立させたりするなど、むしろアメリカのために、あらゆる努力を尽くしたのです。近来では、共産主義の没落以降、ロシアと中国の未来を心配し、数十種類に及ぶ各種の教材を出版して、青少年を中心とした倫理教育に多くの支援をしています。
限りない犠牲による受難の道の克服
皆様。日帝治下において反日地下運動をした文総にとって、日本民族は怨讐でした。民族的にはもちろんのこと、個人的にも怨讐でした。しかし、日本が敗戦したのち、総裁は日本人を愛しました。地下独立運動をしたかどで総裁を引っ張っていき、激しい拷問をした日本の警察官たちは、総裁の一言で処刑される運命だったのですが、反対に追われている彼らを安全に日本に送ってあげたのです。今日、日本の多くの若者たちが、なぜ総裁に永遠の命を懸けて忠誠を尽くしているのか分かりますか。因果の法則に従って、報いなければならない原則があるからです。それは、国家を超越し、神様の心情的なみ旨に従って、世界に向かって真の愛を植えたからです。国家的な怨讐を愛しながら生きる道に導く心情的な基盤を植えたので、彼らは我知らず天命に従っているのです。
文総裁は、日帝治下において、当時の日本にも恨みがありました。しかし、日本は既に敗者でした。天は、滅びた者をさらに打つことはしません。自分の罪を自白して、謝罪する人に対しては、哀れみをもって対するのです。そのような天であるので、敗者に向かって再度打つならば、打った者の子孫が滅びるのです。アメリカもまた、総裁を敵対視していた国家です。しかし総裁は、道徳的に塗炭の苦しみに陥ったアメリカを救うため、父母、兄弟をあとにして、祖国を振り返ることなく、カイン世界を救うために、御自身に属しているすべてのものを捨てました。
また、キリスト教会が統一教会をどれほど憎んだことでしょうか。しかし、怨讐のように闘ってはいけません。互いに愛で和合しなければならないのです。二つが和合し、大韓民国を天のみ旨の前に立てて、北朝鮮を消化しなければなりません。解放直後に、既成教会と統一教会が一つになっていたならば、すべてが解決されていたのです。しかし、そのようにならなかったので、私たちが行く道の前には、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的な怨讐などと対峙してきながらも、闘わない条件を立てるために、限りない犠牲を払いながら、受難の道を克服してきたのです。
南北を統一する方案
内外の貴賓の皆様。既に北朝鮮の人たちは、全国民が金日成主席の主体思想で武装をしています。私たちは、彼らを消化できる神様の真の愛を中心とした思想で武装しなければなりません。
北朝鮮は、ソビエト連邦から来た冷たい風が吹きつける、北方文明です。私たちは、温帯圏の文明で、彼ら自身を溶かせるような作戦を取らなければ、互いが滅びるのです。ですから、私たちは、徹頭徹尾、真の愛の思想武装をしなければなりません。私たちの思想は、個人の欲望のためのものではなく、世界人類を救うためのものです。自分を中心としたものではありません。より大きなもののために生きようという思想です。しかし、共産主義者たちは、共産党員の何人かの幹部を中心として物事を進めようとします。それで彼らは、自分の敵が現れれば、除去してしまうのです。
私たちは、そうではありません。「相対的環境と和合し、一つとなって、より高い次元の相対的基準を結ぼう。すなわち、カインとアベルが一つとなって、より高い父母を迎えよう!」という思想です。言い換えれば、生活的に感服させ、人生観や人格的な基準を中心として、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕できる私たちにならなければなりません。
私たちが彼らに影響を与える環境をもたなければ、カイン国家を復帰することができません。カイン国家を復帰できなければ、天の国を中心とした世界的な国になる復帰の国家が成立しないのです。したがって、韓国と北朝鮮は分断されましたが、北朝鮮と闘わずして解放しようというのです。お互いが利益となる愛を探し求めなければならないのです。皆様。現在、南と北の方向が食い違っています。方向が異なった立場で、一方は南に、もう一方は北に行こうとする、二つの分かれ道があるのですが、その目的が異なっているのです。どのように統一されるかという問題について見るとき深刻です。その主体的な使命は誰がしなければならないでしょうか。
それを韓国が主導するようになれば、北朝鮮が反対し、北朝鮮が主導するようになれば、韓国が反対するでしょう。互いが「自分のいうとおりにしよう!」と言うときには、統一されないのです。自分自体に固執する立場からは、必ずまた決裂するでしょう。これをどのように克服するのかということが問題です。問題は、韓国を愛する以上に北朝鮮を愛する人が韓国に現れなければならないということです。同様に、北朝鮮を愛する以上に韓国を愛する人が北朝鮮に現れればよいのです。それ以外に、解決方案がありません。韓国の誰よりも相手の国を愛する人、北朝鮮の誰よりも相手の国を愛する人、そのように一つの道を行く人がいるというとき、そこから超国家的な統一方案が出てくるのです。どんなに考えても、それ以外に道があるでしょうか。
それでは、これをどのように実践するかが問題です。それは、北朝鮮の人よりも苦労し、韓国の人よりも苦労することです。このような苦労の中で立てられた超民族的な愛国心が南北を生かす近道であり、解決の方案なのです。
悪の世界と善の世界を統一するのも、やはり同じです。これまで、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を主張できる人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾できるのです。そのような意味から見るとき、イエス様は偉大でした。ユダヤ民族が不信し、十字架の道を行かざるを得ない状況に立たされたとき、神様のため、イスラエル民族のための道は、神様のために死に、イスラエル民族のために死ぬ以外にはないと考えたのです。それが十字架の道理です。
人類を愛することにおいて、有史以来、誰よりも人類を愛し、神様を愛することにおいて、有史以来、誰よりも愛したので、滅びる歴史がそこから新しい方向を取り、より次元の高い善の目的の世界へと進むようになったのです。それがキリスト教文化圏です。それは歴史的な事実です。
南北統一はどこから、何によって成し遂げられるのか
ですから、南北を統一できる方案は、南と北のために死ぬことができる群れになる道しかありません。それ以外に、統一できる道はありません。心から一緒に暮らしたいという心がなければならないのです。人間はどのように生きるのか、あるいは私たちの人生航路はどのように行くべきか、ということを念頭において見るとき、その骨子を要約すれば、孝子が行く道、忠臣が行く道、聖人が行く道、聖子が行く道の根本があるはずです。一つになって永遠に一緒にいたいと思い、一緒に暮らしたいと思う心です。上下を問わず、一緒にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越し、生涯を越えて、一緒に暮らしたいという思いに徹した人生のことではないでしょうか。このような結論が出てくるのです。
「一緒に暮らしたい!」という、その内幕の共通分母は何でしょうか。それは権力ではありません。権力は、歴史を超越できません。それは一時のものです。知識もやはり同じです。知識世界は発展するものです。知識の世界で、この学問と永遠に「一緒に暮らしたい」という思いがあるでしょうか。明らかに、私たちが共に暮らすことができるのは、知識でもなく、金銭でもありません。
このように見るとき、上下、前後、左右の区別なく、過去、現在、未来の時間性を超越した立場から、共通して認定できる一つの分母とは何でしょうか。これがすなわち、神様を中心とした真の愛です。ですから、孝子は、家庭で父母を限りなく愛して生きる人です。また愛国者は、国をこの上なく愛して生きる人であり、聖人は世界万人をこの上なく愛する人であり、聖子は人類と神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。したがって、愛国者の心のように、民族と共に暮らしたいと思い、民族が困難なときには、その困難がすなわち自分のことであり、自分の痛みであり、喜びがあるとすれば、それが過ぎ去る喜びではなく私たちすベての永遠の喜びとして残るものでなければならないと誓う、真の心情基盤が問題なのです。真の愛と心情の関係をもった人は、統一圏に同参できる特権があります。
皆様。学歴のない女性でも、博士と結婚して愛の関係を結べば、一日にして博士夫人になるでしょう。このように、共に暮らそうという情の関係をたくさんもった人は、今日、統一圏に堂々と参席できる特権があるのです。神様御自身がそのようなお方なので、一つになることができる生活内容をもてば、同参できる資格が自動的に賦与されるのです。それでは、南北統一はどこから、何をもって成し遂げるのでしょうか。力で屈服させれば、相手側の力がもっと大きくなるとき、また闘いが起こるようになります。そのやり方では、統一を成し遂げることはできません。たとえ韓国の地で暮らしていても、北朝鮮で暮らす彼らと一緒に暮らしたいという心、一つにならなければならないという心があってこそ、統一の道は開かれるのです。北朝鮮を思いながら、胸が詰まり、哀れに暮らす私たちの同胞のために涙を流し、「あなたたちの困難と共に私は生きている。解放の一日を準備し、あなたたちの前に現れるであろう」と誓いつつ、統一のための真の愛の実践運動がここに起こるならば、統一の日は遠くありません。
皆様。その最初の段階として、郷土とともにどのように生きるのかを考えてみなければなりません。自分の父母と共に暮らしたいと思わず、郷土とともに暮らしたいと思わない人が国を愛するというのは偽りです。国とともに生きてこそ、世界とともに生きるようになっています。そして、世界とともに生きてこそ、神様と生きるようになっています。ですから、郷土を愛し、その地域社会を愛してこそ、愛国も可能なのです。
政治の指導者たちは国をどれほど愛しているでしょうか。彼らに、国民と真心から一緒に暮らそうという心がないときには、そのような政治家は流れ去ってしまうのです。どんなに優れていても、水の泡のように流れ去ってしまうのです。分かれた南と北がそのまま一つになることはできません。愛国の同志たちが闘争するその過程では、夜寝ることもせず、時間を超越して、困難な環境を克服できる心の決意と実践が必要なのです。「本当に一緒に暮らしたい。死んでも共に死に、生きても共に生きたい!」という、そのような心を互いがもつようになるときに、南北統一運動が始まるのです。
南北統一を成し遂げれば、民主世界と共産世界の統一も、ここから起こるのです。ですから、韓国の問題を心配する場合は、世界を代表した立場に立って、60億人類を代表し、30億のアジア人を代表し、民族の将来と世界の将来を見通さなくてはいけません。
そして、「私は、あなたたちと一緒に暮らす運動を本当に展開する」と誓わなければなりません。それが聖人の道理に通じれば、聖人に似るのであり、聖子の忠節をもって神様に対して実践すれば、「神様の相続者」、あるいは「み旨の後継者」になるということを、文総裁と私は生涯を通して確認したので、きょう皆様にこのようなみ言を伝えているのです。
真の愛とは何か
内外の貴賓の皆様。神様の真の愛を中心として互いに縁を結べば、必ず主管権と所有権、そして相続権をもつことができる特権が賦与されます。力学では、入力より出力が小さいのですが、真の愛の世界では、入力よりも出力のほうが大きいのです。真の愛とは、ために生きる愛であり、与えてはそれを忘れてしまうものです。与えたことも記隱しないのです。また、どんなに注いでも、疲れることがありません。90歳を超えた父母が、70歳になった息子に、「息子よ、車に気をつけなさい!」と言っても、不自然ではなく、何十年間、その言葉を繰り返したとしても、嫌気が差したり、疲れたりすることがありません。
堕落した世界の父母もそうであれば、ましてや本質世界において父母なる神様の愛を与えたり受けたりするとき、疲れることがあるでしょうか。人生で、神様の真の対象圏を確定し、真の愛の栄光が不変であることを初めて知るようになるとき、永生の論理を妥当化させることができるのです。
文総裁が、去る1984年に何の罪もなくアメリカの監獄に入り、獄中のべッドに一人で横になっているとき、神様が訪ねてこられ、「信じられる人はあなたしかいないので、ニカラグアの事態を解決しなさい」と命令されました。神様が訪ねてこられる人間が、どうして文総裁しかいないのでしょうか。先進国を代表すると言われるアメリカには、2億4000万という国民と数限りない大勢の宗教家がいるのですが、彼らを訪ねていくことができず、文総裁を訪ねてこられた神様は、どれほど哀れであられるか、推し量ることができるはずです。神様は、強い引力の愛を訪ねようとされるので、昼夜、世界のために心配する文総裁を訪ねてこられたのです。その時、文総裁が「ワシントン・タイムズ」を前面に立てて援助する仕事を展開していなければ、南米は思想的に既に廃墟になっていたでしょう。
紳士淑女の皆様。我が民族の念願である南北統一は、この時代の神様の願いでもあります。北朝鮮と韓国を統一させ、神様が安息できる基盤を、皆様の家庭と私たちの教会、そして国に築くことを天は願っているのです。
南北統一は真の愛で
それでは、何をもって神様に侍るのでしょうか。何をもって、これをすべてきれいに洗い流さなければならないのでしょうか。何をもって洗い流せば、神様はきれいだとおっしゃるのでしょうか。ほかでもありません。自分の父と母を愛する以上、夫や妻を愛する以上、子女を愛する以上の真の愛を中心として、その環境を築き、祭物的な祭壇を築こうというその立場から、初めて理想的な南北統一が出てくるのです。理想的な東西文化の統合が起こるのです。分離した地上世界と天上世界の理想的な統一が起こるのです。地獄と天国の解放圏が開かれます。それで、真の愛の鍵が必要なのです。
「私」の心と体の愛による統一は、家庭的な愛の統一と常に互いに通じることができます。家庭が和合した愛の夫婦は、家族だけでなく、その氏族と国家と世界にも通じることができます。愛し合う夫婦が一つになれば、誰がそしり、踏みにじることができるでしょうか。和合した家庭、民族、国家、世界、天宙、和合した真の人間が愛を中心として神様と一体になった世界が、真の愛のユートピアではないでしょうか。すべての植物が、太陽の光を生命の要素として吸収するように、人間にとっては、愛が生命の要素となるのです。私たちの願いは、永遠に真の愛とともに、慕いながら生きることのできる地上天国や天上天国が建設されることです。しかし、この世の中に、すべてのものの主人格として登場できる、驚くべき人生の価値とその特権的な権限をもった真の愛の主体者、あるいは対象者が、果たしてどれだけ存在するでしょうか。
きょう、この場に参席された皆様は、どうかこのことを忘れずに、心と体が一つになるように努力することによって、自らの夫婦同士で、より高くために生きる愛で愛し合い、家庭と民族と国家と世界を愛する真の人と家庭となることを願います。
もし、そのようになれば、南北統一は既に成就したのと同じです。どんなに強い主体思想であっても、神様の愛の中では、力なく収拾され、消滅してしまうでしょう。本当に愛する心をもつようになれば、南北統一は問題になりません。それだけでなく、東西問題や、世界的南北の貧富の格差の問題も、この神様の真の愛をもって完全に解決することができます。このような神様の理想を中心として、世界の理想を消化し、そこから国家理想を消化し、国家理想から民族、家庭、個人にまで連結できる理想が成し遂げられることによって、この地上には、真の愛の平和世界が建設されることは間違いありません。
内外の貴賓の皆様。文総裁は、40年以上前から、ここでお話ししたように、統一の根本原則を宣言し、国内外で「神主義」を中心とした理念運動を土台として、周辺4大強国に、統一の国際的な基盤を造成してきました。韓国と日本、そしてアメリカなどに、それぞれ数百万人を超える会員たちが、「国際勝共連合」と「カウサ(CAUSA:南北米統一連合)」の活動などを通して、民間基盤を構築してきたのです。これまで、文総裁が主唱してきた「神主義」は、有神論や無神論の相反する価値観の統一はもちろんのこと、世俗的人本主義を解放できる唯一の思想として、世界各国の指導者たちと思想界で検証されたものです。
世界平和のために南北統一を信仰化しよう
南北統一を熱望する愛国同胞の皆様。私たちは共に、真の愛の「神主義」によって私たちの価値観を確立し、国民思想武装に総決起しましょう。私たち自身と韓民族、そして世界平和のために、南北統一を信仰化しましょう。そしてこの時代に、歴史と天の召命を受けて立ち上がり、南北統一運動に私たちすべてが先頭に立つ義人と指導者になりましょう。真心から一緒に暮らしたいと思う真の愛、怨讐までも愛する心で、真の愛の温風を北方の地の同胞たちに送りましょう。特に、人類歴史の始まりに、エバの失敗によって歴史が誤ったので、「終わりの日」には、女性たちが先頭に立って、真の愛の母性愛で、青少年の和解と統一の新しい歴史を創造していきましょう。
女性の使命は、子女格の青年男女および学生たちを、真の教育を通して真の子女として復帰していくことです。さらには、母と子女が一つとなって手本を示し、夫までも教育を通して真の天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心として侍り、地上天国の理想を復帰しなければなりません。いま一度、きょうの話が、韓国と北朝鮮が共に真の愛で出会うその日を早める全国民運動となることを願いながら、話を終えようと思います。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に共にあることをお祈りします。ありがとうございました。